40歳を過ぎてから奥田民生と急接近し、カーリングシトーンズを結成した斉藤和義。奥田民生との出会い、そして音楽以外での付き合いが深まった理由を尋ねると……。(全2回の前編/続きを読む)
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40歳を過ぎて、急に仲良くなった
――話によると、初めて民生さんと会ったのは1999年ごろ、ゆずと3組でやった博多のイベントだったということですが。
斉藤 どうだっけな。そのイベントは覚えてるんですけど、それが最初だったのかどうか。ロックフェスができる前は、誰かと誰かでイベントをやるみたいなのがちょこちょこあったので、そういうので一緒になってた可能性はあるんですけどね。でも覚えてるものとしては、それが最初かもしれないです。
――初対面の印象はどんなものでしたか?
斉藤 その前から、俺がデビューしたころの曲を民はんがいいと言ってたという話を人づてに聞いてて、ああ、知ってくれてるんだなって。そんなこともあったので、初めて会う感じは特別なかった気がするんです。もちろんこっちは一方的に知ってましたから。たぶんそのとき、ギターの話かなんかしたんだろうなと思うんですけどね。
――その後、民生さんとの距離はすぐに縮まっていったんですか?
斉藤 いや、そうでもないんじゃないですかね。まだ20代、30代ぐらいだと、お互い尖ってたり、ギスギスしたりするところもあって、会えば挨拶するし、話もするけどっていう、しばらくはそんな感じだったと思います。
一緒に遊ぶようになったのは、たぶん40歳を過ぎてからじゃないかな。それまでは民はんに限らず、トータス(松本)にしろ吉井(和哉)くんにしろ、面識はあったけど飲みに行きましょうみたいな感じではなくて。でもみんな40歳を過ぎて、なにかから降りたのかわからないけど、急に仲良くなって遊びだしたんです。民はんもそのなかのひとりですね。
もうじじいになったし、ここからは助け合い
――40歳というのは、やはりひとつの転機なんですね。
斉藤 40歳になると、中年ですよというハンコをバーンと押される感じがあるというか。トータスや吉井くんもそうだけど、スガ(シカオ)くんとか、田島貴男とか、みんな66年生まれで、40歳になる06年に「ROOTS66-DON'T TRUST OVER 40-」というイベントがあったんです。10組以上集まったのかな。それが打ち上げでもずっと一緒にいるくらい砕けて、楽しい会になったんですね。
自分の印象としては、その辺りから急にみんな近くなった感じがして。もうじじいになったし、いつまでも肩肘張ってるんじゃなくて、ここからは助け合いで、みたいな(笑)。自分のなかでガラッといろんなものが崩れて、そこからえらい飲み歩くようになったんですよね。その流れで民はんのことも誘うようになって、浜崎貴司が「民生くん紹介してよ」って言うから、会わせたらすごく仲良くなったりとか。
民はんも40歳過ぎぐらいから急に社交的になったって、本人が言ってたのか、近い人が言ってたのか忘れたけど、たしかにそういうところはあるんじゃないですかね。民はんは俺に輪をかけて、自分から進んで外に出ていくタイプじゃないから。そのうちにLINE会が始まって、より仲良くなっていった感じがありますね。