「あれだけ名のある人に来られたらかなわない、もうやめて!みたいな(笑)。」
――和義さんは93年のデビュー、民生さんは93年にユニコーン解散、94年にソロデビューという流れです。初めのころは民生さんのことをどう見ていましたか?
斉藤 当時はみんなデビューが早かったじゃないですか。人によっては10代でデビューして、22~3歳までにデビューしないともう一生無理みたいな空気もあって。そういうなかで、俺は27歳までデビューできなかったんです。一方で民はんは、年がひとつ上ってだけで、そう変わらないのに、先にもう活躍してたからいいなっていうか、俺は大丈夫かなって。
そのあと俺もデビューするんですけど、そうしたらユニコーンが解散して、ソロになって出てくるっていうことで複雑でしたね。こっちは新人で、これから出ていくっていうときに、あれだけ名のある人に来られたらかなわない、もうやめて!みたいな(笑)。
あえての牛歩戦術
――おふたりとも30年以上ソロ活動を続けてきたわけですが、和義さんは葛藤を抱えるような時期もありましたか?
斉藤 ありましたね。デビューする前がいちばん思い込みと勘違いが甚だしくて、デビューしたら電車も乗れなくなる、街にも出られなくなると思ってたら、全然静かで(笑)。そこで一度、鼻っ柱を折られたというか。
でも逆に、ちょっと冷静にもなれて、そうか、自分は時間がかかるのかもなと思って、じゃあ牛歩戦術で行こうみたいな感じになったんですよね。民はんもそうだし、同い年くらいのみんなの活躍を見て、早くそっちに行かなきゃという焦りを感じつつ、俺はじんわりじんわりという感じで。
――でもじんわりじんわりと、和義さんはペースを崩さず、ずっと走りつづけてきましたよね。
斉藤 デビューしたのが遅いっていうのもあるし、自分は一周遅れで始まってる感じはすごくあるんです。でも追いつかなきゃみたいな気持ちはもうないんですよね。途中からそっちはそっち、こっちはこっちって割り切るようにはなっていて。もちろん横目で見ながら、刺激を受けるんだけど、やってることはみんなバラバラだし。
それぞれの道を進みながら、たまに集まってバンドをやる、そういう余裕や遊び心が出てきたことが、きっとみんなも嬉しいんじゃないですかね。それぞれがやるべきことをやったうえで、また別に「なんか遊ばない?」って。そういうカーリングシトーンズのノリは、すごくいいなと思ってるんです。
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