このような立場から、11月中旬開戦決意、12月初頭開戦、三国同盟の維持を強く主張しているのである。
また、東郷外相より提起された乙案(編集部注:一定の譲歩を示したうえで暫定的な妥結を図る意図で東郷外相が提案していた)についての田中の見方は先にも触れたが、少し詳しくみておこう。
「乙案」は南部仏印進駐前の状態に復帰するもので、「航空揮発油」の供給はあてにならない。国防の不安と「支那事変解決」の困難性は一層高まる。対米戦の戦機を逸することになり、米国に戦争介入の諸準備のための時間を与えてしまう。だが日米間の「妥結」の可能性は相当に大きい。妥結が成立したとしても、それは「米国政戦略上」の一時的戦術であり、「統帥部」としては「反対」の態度を明確にすべきであろう。統帥部があくまで反対すれば、「内閣の倒壊」とならざるをえない。しかし、その後の「政局収拾」の確実なる「目処」は立たず、しばらく事態を「静観」するしかない。
乙案による日米妥協の可能性は高く、統帥部としては好ましくない事態だが静観するしかない。それが田中の判断だった。
ところが連絡会議では、東郷の提案を東条首相が支持し、「陸軍統帥部」としては政変を回避するため「譲歩」せざるをえなかった。この事態に田中は、乙案が成立しても、それは米側の「謀略的」な一時的宥和であり、半年後には「対米一戦」か「大東亜共栄圏の放棄」かに追い込まれる。だがその時は日米艦艇格差の拡大によって日本はもはや「戦えなく」なっている、と危機感を高めていた(田中「大東亜戦争への道程」第10巻)。
幻のアメリカ「暫定協定案」
11月2日、大本営政府連絡会議は、再検討の結果に基づいて、あらためて「帝国国策遂行要領」案を決定した。その主要な内容は以下のとおりである。
一、武力発動の時期を12月初頭と定め、陸海軍は作戦準備を完成する。
二、対米交渉は、別紙要領によりおこなう。
三、独伊との提携強化を図る。対米交渉が12月1日午前0時までに成功すれば、武力発動を中止する。
そして、別紙対米交渉要領には甲案、乙案が併記された。
11月5日、御前会議が開かれ、「帝国国策遂行要領」(甲案・乙案を含む)が正式に決定された。原則的には、9月6日の御前会議決定に事実上回帰したのである。