1ページ目から読む
4/5ページ目

 同日、大本営政府連絡会議が開かれ、ハル・ノートにより「非戦派閣僚」も一気に開戦論に転換した。対米開戦で閣僚の意志一致がなされたのである(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。

 田中は、これをアメリカが極東侵略政策をあらわにしたものと受け止めた。ハル・ノートは日本の「アジア解放」政策たる「大東亜共栄圏政策」に敢然と挑戦したものであり、「ワシントン体制」の復元を強要するものと断じた。日本の「東亜新秩序政策」と正面衝突するものであり、満州を含めた「全支」から全面撤兵を要求し、「満州建国」や「汪政権」の解消を要求するものと解釈した。それによって満州事変以来10年の日本の経営は「水泡」に帰する。「対ソ対支」国防は危殆に瀕することになる。

 また「支那大陸」は完全な「赤化」か、「モスクワ帝国主義」と「米英帝国」との争奪戦場と化する。米国は米英支配下の「植民地支那」を未来に描いている。日米英支ソ蘭泰7ヵ国の多辺的不可侵条約によって「集団的平和機構」を作ろうとしているが、それは「架空論」であり、その結果はアジアの「大混乱」を造り出すに過ぎない。仏印を米英支ソ蘭泰6ヵ国の「共同保証」の下に置くことを提議しているが、これは日本の「南進政策」を阻止するための「鉄壁」を築こうとするものに他ならない。ハル・ノートの意図は結局のところ日本の「主導的地位」の覆滅にある。こう田中は判断していた(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)。

ADVERTISEMENT

ハル・ノートという「天佑」

 田中は、ハル・ノートの到来は、日本にとってむしろ「天佑」だとみた。これで日米開戦に消極的な東郷外相らも開戦を決意せざるを得なくなり、国論も開戦に一致するだろう。開戦方針貫徹のためには、情勢は一気に好転した、との認識だった。

「ハル・ノートが日本のためには、あたかも好機に到来したことは、むしろ天佑であるといえる。このような挑戦的な文書をつきつけられては、東郷(外務)、賀屋(大蔵)の両相も、もはや非戦的態度を固辞し得なくなるだろう。これで国論も一致するであろう。……要するに来るべきものが来たのだ。……既定の開戦方針貫徹のためには、[田中自身にとって]情勢はこれで一気に好転したのだ。」(田中「大東亜戦争への道程」第11巻)