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 田中は、東条の主張は、全く「剣もほろろ」であり、真意は「ガ島放棄」を示唆するものであり、統帥部に対する「不信」の表明だと受けとった。また、東条には「ガ島戦に対する正常な認識」が欠けており、ガダルカナル島喪失による「南太平洋防衛」の破綻が日本の「基本的長期戦争計画」に対する致命傷となることが理解できていない、と反駁しようとした。だが、その間に思わず「馬鹿者共」と暴言に近い表現を使った。

 その夜半、田中は杉山参謀総長を訪ね、作戦部長の辞職を懇請した。その結果、重謹慎15日の処分を受けた後、南方総軍司令部付に転出した(「田中新一中将回想録」其の5)。

戦争経済が維持できず

 こうして田中は陸軍中央を離れた。しかしその後の陸軍には、田中のような世界的視野から戦略構想を立てうる幕僚は現れなかった。

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 後任の作戦部長には、第一方面軍参謀長の綾部橘樹(実務型)が就くが、間もなく作戦課長だった統制派の真田穣一郎が作戦部長に昇格した。東条陸相の意向だった。

 8月から始まったガダルカナル攻防戦で、日本軍は、第七師団一木支隊、第一八師団川口支隊、第二師団、第三八師団など、約3万人の兵士を投入していた。だが、いずれも大損害を受け、ガダルカナル島の確保に失敗。また制空権を喪失したなかで大量の兵員・物資輸送船(徴用)を失い、西太平洋での資源輸送用船舶の運用にも困難を生じることとなっていた。

 このような状況下で、田中はガダルカナルに大戦力を一挙に投入して、同島の奪回を図るべきだと主張した。37万トンの船舶増徴要求はこのためだった。

 田中はこう考えていた。

 ガダルカナルへの米軍の来攻は、アメリカの本格的反攻に発展しつつある。ガダルカナルを失えば、そこを足場に米軍はさらに西進し、西太平洋における日本の制海・制空権を揺るがすこととなる。そうなれば南方占領地域と日本本土との輸送路を遮断されるばかりでなく、南方要域の確保そのものが困難となり、長期持久戦態勢の経済的基礎が脅かされる。そのような事態に陥れば、長期の戦争継続が不可能な状況となる。したがってガダルカナルは何としても確保しておかなければならない(『田中作戦部長の証言』)。