「当時の慶大には体育会のアイスホッケー部のほかにアイスホッケーの同好会が3つほどありましたが、レンジャースは東京都アイスホッケー連盟にも加盟し、本格的でした。都内のスケートリンクはどこも争奪戦で、夜10時くらいからでないと借りられないケースが多かった。集まって練習をして、そのままみんなでワイワイ焼き鳥屋などに飲みに行く感じでした」

 治之の幼稚舎時代からの親友、竹田恒治は、高校時代からアイスホッケー部で活躍。高校から慶応に入り、2人と仲が良かった廣瀬篁治もマネージャーとして入部し、大学でも揃って体育会のアイスホッケー部に入ったが、時にレンジャースにも顔を出していたという。

 廣瀬はのちに自動販売機のビジネスなどで実業家として成功し、治之だけでなく、弟の治則とも密接に結びつく。彼もまた、母親が大日本製糖を中心とした旧財閥、「藤山コンツェルン」の出身で、元外相の藤山愛一郎の実妹という名家の血筋だ。

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 治則は中江ら同級生を連れてレンジャースに合流。高橋兄弟の人脈は、アイスホッケーというキーワードで繋がり、一層広がりを見せていく。

彼女をナイトクラブに

 治之は途中からレンジャースに姿を見せなくなるが、その合間に弟のスバル車を借りて、産地から空輸された新巻鮭などを届ける宅配のアルバイトに精を出した。

 治之に呼び出された友人が、後部座席に大量に積み上げられた新巻鮭の包みを見て、「これ、届けなくていいの?」と聞くと、彼はこう答えた。

「いいんだよ。面倒くさいから放っておくよ」

 当時の治之が、バイトよりも熱を上げていたのは、女性だった。大阪大学医学部出身の医師の娘で、大学の同級生だった。のちに治之の妻になる女性である。ピアノを嗜む華やかな美人で、治之の猛アタックで交際が始まったという。

 彼女との交際は仲間にも内緒にして、密かに逢瀬を重ねた。

 時には背伸びをして大学生ながら、当時赤坂で人気だった伝説の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」にも彼女を連れ出した。コパカバーナは、海外のVIPや日本の名立たる政治家や財界人、各界のトップスターが通い、デヴィ夫人がインドネシアのスカルノ大統領と出会った場所としても知られる。フランク・シナトラを始め大物ミュージシャンの華やかなショーも人気で、セレブの社交場だった。

 治之はそこで偶然、大学の友人と会った時には、「お前、彼女に手を出したらタダじゃおかないからな」と温厚な彼には珍しく厳しい口調で釘を刺すこともあったという。