兄は電通、弟は日本航空へ…

 一方、治則は、大学の授業にもほとんど出ることはなく、もっぱらビジネスに夢中になった。マンションの売買を手掛け、ここでも商才を発揮していた。

 当時、高橋家は世田谷区の用賀に邸宅を構え、庭には犬好きの母親がスピッツを飼っていた。高橋兄弟が大学生だった1966年7月、母親はこの自宅に本店を置く「ハイブリッヂ」という会社を設立している。苗字を英語で表した社名の通り、ファミリービジネスの会社で、山中湖の別荘地の開発や美術品の輸出入販売などを目的とし、取締役には治之と治則も名を連ねた。彼ら兄弟にとってビジネスや金儲けは、学生時代から、ごく身近にある“家業”だった。

 そして慶応ブランドに染まった映画のような青春時代を過ごした無敵の兄弟は、日本を代表する2つの企業に分かれ、実社会の扉を開いていく。

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