尾津組の子分が幹部を殴りつけてしまう事件も
尾津は、自分が革新派に加入していることはまず措いて、両者の観察をすることに決めた。それぞれのもとへ出向いてみると、これでは確かにまとまらん、と腕組みしてうなるしかなかった。尾津の眼に映った両者は――。
革新派は「旧会議所の遺産に眼をつけた一旗組の連中」。対して保守派は「カネはあっても戦後の虚脱状態から完全に脱けきれず、やることがスロモー(スローモーション)」。どっちもどっちとはいわないまでも片方のみに正義ありとは見なかった。依頼主、大澤方の肩だけ持とうとしなかった感覚は尾津らしい。
そんななか、革新派の総会が開かれる。壇上、幹部たちが保守派の批判をはじめた。そのうちだんだん熱を帯びてきて、ついには相手方への個人攻撃がはじまってしまった。尾津はその場に出席していなかったが、尾津組の子分数人が傍聴していた。
尾津親分が調停を進めていることを幹部らは当然知っているのに、破談にしかねない悪しざまの言いぶり。子分の1人がついに堪忍袋の緒を切らして、壇上へ駆け上り、口撃者を殴りつけてしまった。
見苦しい幹部には尾津本人が「みっともねえ」と一喝
さらには、幹部を待合で接待してみると、飲み方があまりにも汚く、見苦しかった。このときは同席していた尾津は一喝。
「みっともねえ」
この体たらくに革新派リーダーの高品という男も分が悪いと思い至ったようで、結局、尾津へ白紙委任状を渡した。尾津はすぐさま保守派へも面会しこう述べた。
「こちらからも委任状をこの尾津へ任されたい」
これで万事落着。……と思いきや、日本工業倶楽部の一室に集まった財界の重鎮たちは誰も口をつぐんで返事をしない。ややあって、口ひげの老人がゆっくりと口を開いた。
「尾津さんの協力はありがたいが、こちらは定款もできあがり、白紙委任というわけにはいきますまい」
満鉄副総裁や商工大臣を歴任し、終戦時の幣原内閣では憲法改正担当の国務大臣をつとめた松本烝治だった。尾津は居ずまいをただし、返答する。
「松本先生。この尾津は本日、おろしたての組の法被を着て参上いたしました。私どもの世界では紋付き袴と同じ礼装です。正式の話し合いに来たのです。一方が白紙、一方が条件付きでは、あっせんできる道理があるでしょうか」
松本は押し黙るしかなかった。これで双方からの白紙委任が得られた。