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「カネは当選したらいくらでも出しましょう。その前には一文とて献金しません。カネで公認を買ったといわれたくないですから」

 言われたくなくても散々に当時そう噂されたが、ついに入党は果たした。選挙戦がはじまるや、ほうぼうで街頭演説に回り、それは見事な演説だったと言われる。尾津を糾弾したニューヨーク・ポスト記者ベリガンでさえ、自分の耳でたびたび聞いた尾津の弁舌をこう評している。

〈その演説は世界各国の政治家の演説の中でも最もまじめなものであったと言わねばならない。〉

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尾津喜之助 ©文藝春秋

投票日、まさかの無所属扱いになっていて…

 そしてやってきた投票日。尾津に到来した青天の霹靂。なんとどこにも自由党公認の文字がなく、無所属扱いになっているではないか。各方面から「自由党のはずが、話が違う」と苦情が殺到してもあとの祭り。

 そういえば選挙期間に自由党大物の応援演説は一切なく、吉田茂から激励電報が1本届いたのみだった。関係者を通じ訂正が完了したときにはすでに昼をまわっていた。結局、2000票差で尾津は落選した。カネを出さないテキヤの親分は、切って捨てられた。

 選挙対策の事務長だった元上野警察署長石森茂は告訴するとまでいって泣いて怒り狂い、尾津の子分のひとりは、野原組(選挙協力をし、おそらくなんらかの見返りの約束があったか)の某に斬られる事態まで発生した。

 尾津はこんなに熱い子分たちを持って「幸せだ」と半ば強がって言ったものだったが、後世の筆者の視点でいえば、投票した当時の庶民の眼力は誤っていたとまでは、どうも思えない。

 ちなみに石森はのちに尾津商事重役ともなる。元淀橋署長や元上野署長をおのれの会社の幹部につけている尾津。天下り先を用意した親分と警察との馴れ合い、癒着は相当にあったと想像できる。

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