奇跡的に生き残った丸五市場のそば焼き屋で

「震災を背負わなくても、知らない人がいてもいい。それぞれの居場所を作るのが大事。大事なものは時間がかかる」

 仕事の合間に語られる設計士の言葉に灯は癒されていく。そこに大きな仕事が舞い込んだ。駅前に等身大(設定上の高さ18メートル)の鉄人28号の像がそびえる神戸市長田区。地震直後の大火災で甚大な被害を被ったが、その一角の「丸五市場」は奇跡的に生き延びて営業を続けてきた。とはいえ100年以上の歴史とともに建物のシャッターはゆがみ、老朽化が進んでいる。ここで長年そば焼き屋を営む店主の女性から、市場の再生計画について相談が寄せられたのだ。

 

 灯は設計士とともに市場に通って調査を進め、再生後の模型を作り上げた。ところが折からのコロナ禍で計画は中断。灯は店主に「一部だけでもなんとかなりませんか」と掛け合う。その晩、事件は起きた……。

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 舞台となる丸五市場は長田区に実在する。物語の核となるそば焼き屋「いりちゃん」も。本物の店主が撮影に立ち合い、キャベツたっぷりの「そば焼き」と、そこにご飯を混ぜる「そばめし」を調理したそうだ。灯を演じた富田望生(みう)さんについて店主は、

「映画のまんま。気さくで気取らない普通の子で、めっちゃ感じいい。撮影中いつもお昼はここに来てそば焼きやそばめし食べてたわ。今でも時々来ますよ」

災害は30年経っても終わらない

 映画公開は1月17日、震災から30年の日だった。その前日、丸五市場の居酒屋に富田さんや監督の安達もじりさんの姿があった。公開を前に出演者やスタッフが集まっての“同窓会”だ。この席で、作品の監修にあたった精神科医が語った。

「災害支援は1週間以上続けるべきではない。自分の心と体が壊れる」

 

 その瞬間、僕の記憶は30年前に跳んだ。NHK神戸放送局で兵庫県警担当の記者だった自分。取材者であり被災者だった。震災発生から連日、県警本部に泊まり込み被害情報を伝えた。1週間がたった時、上司が言った。

「相澤、これは数日数カ月で終わる災害じゃない。10年単位で取材は続くんだ。今、根を詰めて取材してもキリがない。いったん休め」

 そして神戸と大阪を結ぶチャーター船で僕を大阪へと送り出した……。そうだ、あの言葉は正しかった。災害は30年たっても終わらないし、僕の心に震災の痛手は残っている。