――『アイコ』でもいっぱい音楽使ってますよね。
今関 そうです。サザンとか、原由子さんとか。ある意味音楽映画ですよね。それは贅沢に使えたので、僕にとってはすごくラッキー。あれだけの曲を普通に使ったら大変な金額になるから。
『アイコ十六歳』の現場は敗北した
――大林さんが製作総指揮になりました。
今関 そう。大里会長も大林さんの名前が欲しいというので。でも、「僕は口も出さないし、何もしない」と。もちろん発表会とかは行くけど、基本的には監督のものだと。ただ、脚本家は紹介してくれて、内藤誠さんと桂千穂さんで、大林作品に縁の深い方々で、彼らを入れたらいいんじゃないかと。
――脚本には、あと秋田さんと今関さんと、4人クレジットされてましたね。
今関 そうです。最初は桂さんと内藤誠さんは、僕に合わせようと思って、シナリオを今関映画風に書いてきたんです。ある意味『転校生』っぽい『アイコ十六歳』になって。それはそれで面白かったんですよ。でも、僕は原作が好きだったので、もっと原作寄りにしたいと修正していったけど、なかなかならなくて、「ごめんなさい、僕らに加筆させてくれ」と。僕と秋田さんで原作寄りのエピソードを差し込んでいって、形にしていったという感じです。
――それまでの8ミリ、16ミリの今関映画とは、だいぶ異質な作りになってましたね。
今関 違いました。だから、僕の周りは「なんでそっちに行っちゃったの?」みたいな感じで。ドラマっぽい映画に作られていたから。たぶん大林さんもそう思ったんじゃないかな。結構普通の映画になったなと。『キネ旬』で大林さんが書いてくれた原稿は、「ホームランじゃなくてちゃんとヒットして出塁した映画」という感じで書いてましたね。褒め言葉であり、本当はもっと異端だろうと期待していたという感じの原稿だった。
――原作のテイストを生かすにはドラマっぽい方がいいという判断だったんですか?
今関 どうせプロの人と一緒にやるなら、ちゃんとプロっぽく撮ったほうがいいかなという。ポエティックな映画よりはドラマにしようというのは、原作の良さを出すためと、プロっぽい映画をどう作れるのか、やってみたかった。
――長回しも多かったですよね。
今関 演出できないから。自主映画出身監督はプロの現場で大体大変だとよく聞くけど、本当に大変だったので。スタッフがみんなプロだから映画を知ってるじゃないですか。僕はそうじゃないから。監督って、プロの現場では極端に言うと座っているだけだから、それがつらかったですね。自主映画では全部やったじゃない。カメラもやるし、段取りもやるし、全部やっていたのが、すべてある意味奪われたので。「ヤベえな。何やるんだ?俺」みたいな。「よーい、スタート」と言ったら現場は動いてるけど、勝手にブルドーザーが動いていっちゃった感じで。自分の方向の範囲内に何とか収めようというのに必死だった気がする。
――プロの作り方自体を知らないで現場に飛び込んでいくわけだから。
今関 そうそう。助監督経験もないから。それこそハンカチは誰が担当して、衣装は誰が担当してなんて、全然知らないから。「ああ、そういうことか」と思いながら。
