3日付上毛朝刊の記事に戻ろう。
“狙われて逃げた”目撃者の話
当時の模様を目撃していた同村、農業・小野関秀次さん(30)*らは2日、次のように語った。
「30日午後2時すぎ、演習が終わって間もなくだった。物見塚の中腹で薬莢拾いをしていると、近くにいた米兵2人のうち1人が小銃弾の薬莢を約10個投げてよこした。私(=小野関さん)が拾っていると、後からなかさんが仲間に加わった。ふと気がついて見上げると、その米兵が小銃の先に空包の薬莢を逆さに付けて狙っていた。みんな驚いて、なかさんと逃げ出した。
数メートル離れたとき、1発目が私の足元に落ちた。米兵は続いて2発目を込め、肩に小銃を当てて狙ったので夢中で逃げた。15メートルも来たころ、第2弾がなかさんの背中に当たり、どっと倒れた。すると狙った米兵がなかさんのそばに近づいて『ママさん、ママさん』と呼んで抱き起したが、なかさんは動かなかった。米兵が立ち去った後、なかさんのところまで行ったが、もう既に死んでいた」。
*引用者注:新聞の誤り。正しくは「英治」
事実関係の大筋は分かるが、抜け落ちている事実もある。同年11月19日の前橋地裁判決では核心の場面はこう認定された。
「ママサン、ダイジョウビ」と言って壕に向かわせ…
ジラードは坂井なかに対し、窪地の西端にある壕(砲弾でできた穴)を指して「ママサンダイジョウビ、タクサン、ブラス、ステイ」と言い、彼女にその壕に空薬莢が大量にあるから取っていいとの趣旨と理解させた。それによって彼女を壕に向かわせ、推定午後1時50分ごろ、持っていたⅯ-1小銃の銃先に装着していた手榴弾発射装置に空包小銃の空薬莢*を逆方向に差し込み、空包1発を装填したうえ、突然彼女に向かい「ゲラル ヘア」と叫んで威嚇すると同時に、小銃を携えたまま壕に向かって走り寄った。
驚いた彼女が壕からはい上がり、そのまま北西の方向に逃げようとして走っていくのを、10メートル前後離れた背後から彼女の周辺を狙って空包を撃った。その空包のガス圧で空薬莢が発射され、意外にも彼女の左の背中の第七肋間部に命中。大動脈上部に達する長さ11センチの裂傷を負わせ、その失血で彼女を死亡させた。
*長さ約6.22センチ、底部の直径約1.19センチ
状況がよく分かる。上毛の記事は続く。
1日午後、目撃者5人は高崎署の刑事らに連れられて埼玉県籠原の米軍キャンプに行った。MP(陸軍憲兵)は30人ばかりの米兵を連れてきて首実検させた。一目でその米兵と分かった。鉄兜を目深に被ってはいたが……。その米兵はMP10人に守られて連れ去られた。
坂井なかさんの夫・秋吉さんは、なかさんの遺体の前で「日本には基地が多い。基地に依存して生きている人もずいぶんいる。しかし、狙い撃ちされたのは今度が初めてだろう。もう少し人間らしい待遇をしてもらえないものだろうか」と言っていた。
