歌うことが苦しかった時期
《自分は歌が、音楽が大好きなんです。ジャンルにかかわらず、歌で表現したいことがたくさんある。なのに自分には歌っていい歌と歌ってはいけない歌があるのかもしれない。そう思ってしまった時期がありました》とは4年ほど前のインタビューでの発言だ(『フィガロジャポン』2021年1月号)。周囲の期待に真摯に応えるため、おそらく彼は自分の表現を枠にはめてしまったのだろう。《いちばん苦しかった時は、声がうまく出せなくなってしまったくらい》だという(同上)。
演歌ばかりではなくアニメソング、洋楽カバーまで
しかし、彼は徐々に枠を取り払っていく。発端となったのは2017年、前出の「限界突破×サバイバー」をリリースしたことだ。この曲はテレビアニメ『ドラゴンボール超(スーパー)』の主題歌で、氷川きよしが歌えるのは演歌ばかりではないと世間に強く印象づけることになった。同年夏には、さいたまスーパーアリーナで開催されたアニメソングの祭典「アニメロサマーライブ」にもシークレットゲストとして出演する。このとき氷川がこの曲を歌い出すと、数万もの観客からペンライトが振られ、大盛り上がりとなったという。
この年、氷川は40歳となり、歌手生活も20年目にさしかかろうとしていた。のちに当時を振り返って、《40歳になったし、自分は自分を生きなければと。まわりが思う私を生きることも大事ですが、自分にしっくりくることを選ぶべき年齢になったと思ったのです。そうしなければ次の20年を歌い続けられない。だって、自分以外の誰かにはなれないから。演歌歌手だからって、ほかのジャンルを歌ってはいけないわけではない。その時代に合わせ臨機応変に表現していたっていい。ルールはないですからね。楽しまなければと》と語っている(『GINGER』2021年5月号)。



