続いて2001年に出した「大井追っかけ音次郎」も股旅物だった。2度目の出場となった同年の紅白では、彼がこの曲を歌ったステージが番組最高視聴率の52.4%を記録する。その後も「きよしのズンドコ節」「星空の秋子」とあいついでヒットを飛ばすも、いずれもノリのいいメロディで、演歌のなかでもポップス歌謡寄りといえる曲だった。

 そこへ来て2003年、5枚目のシングルとしてリリースされたのが、氷川が今回の紅白で披露した「白雲の城」である。白い着物に袴姿で、どっしりと構えて歌い上げる王道中の王道の演歌であった。

『演歌名曲コレクション3〜白雲の城〜』(2003年)

 氷川自身、この歌をもらって身の引き締まる思いであったのだろう、発売時のインタビューでは《今まではどちらかというとノリのいい感じの曲が続きましたけど、今回はこういう硬派な曲で……。歌唱力が問われるじゃないですか、こういう曲は。だから、この曲を出す、ここからが勝負かなって思ってるんですけどね、僕の中では》と語っていた(『ザッピィ』2003年3月号)。ファンも満を持しての王道の演歌を歓迎し、Jポップが席巻するオリコンのシングルヒットチャートでも最高位3位と健闘する。

ADVERTISEMENT

「氷川きよしが歌うから、古臭い歌に耳を貸す」

 ミュージシャンの近田春夫は当時、週刊誌での連載コラム「考えるヒット」で、氷川はデビュー以来、アーティストイメージをどこまで柔軟に見せるかということに力を注ぎながらも、あくまで演歌というフォーマットのなかで四隅を伸ばしてきたと指摘した上で、彼の歌う「白雲の城」を次のように賞賛している。

《この曲が、どれだけ名曲だったとしても、他の人が歌ってチャート的な説得力をどれほど発揮出来るのか。ハッキリいって誰も無理なのではないかと思う。氷川きよしが歌うから、我々リスナーは、この、とてつもなく古臭い歌に耳を貸すのである。そして、その古臭さの奥にある、忘れかけていた何かに触れることになる。/この曲のヒットで私は思う。演歌が死んだのではない、その歌う人達のほとんどが、我々をふりむかせてくれないだけなのだと》(『週刊文春』2003年3月13日号)

2004年、ハワイ公演での氷川きよし ©文藝春秋

 まるで氷川が演歌の救世主であるかのような書きぶりだが、男性歌手にかぎっていえばたしかにそのとおりだったのかもしれない。その証拠に、氷川は2008年の紅白で初めて大トリを務めたが、それ以降、演歌で白組のトリを務めたのは大御所・北島三郎しかいない。

北島三郎 ©文藝春秋

 とすれば、氷川に対して演歌界内部ではおそらく過剰ともいえる期待がかけられ、彼自身にプレッシャーとなってのしかかっていたことは容易に想像できる。実際、彼はそのことをほのめかすようなことも口にしている。