きのう2月2日、氷川きよしが歌手デビュー25周年を迎えた。氷川は昨年(2024年)8月、1年8ヵ月にわたる活動休止を経て単独コンサートで歌手活動を再開すると、大晦日の紅白にも特別企画の枠で2年ぶりに復帰を果たした。

氷川きよし ©️時事通信社

 活動に一旦区切りをつけた2年前の紅白では、歌い終えたあと「また必ず帰ってきます」と約束していた。その言葉どおりNHKホールのステージに帰ってきた氷川は、前回歌ったヘヴィメタル調の楽曲「限界突破×サバイバー」とは打って変わって、自身の代表曲の一つで正統派の演歌「白雲の城」をじっくり聴かせた。

「白雲の城」を歌った理由

 なぜ、紅白復帰のステージに演歌を選んだのか? その理由は、出番を前に司会の伊藤沙莉が代読した次のメッセージであきらかにされていた。

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《活動休止中、これまで支えてくれた皆さんの気持ちにも触れ、自分にとって演歌、そして氷川きよしという存在がかけがえのない大切なものだということに気づくことができました。復活後のコンサートでその思いはますます大きくなり、確信となりました。今夜はこれまでの感謝とこれからも歌い続けるという決意を込めて精一杯『白雲の城』を届けたいと思います》

『NHK紅白歌合戦』公式Xより

 改めてこのメッセージを読むと、彼のなかでは歌手活動を続けるうち、“歌手・氷川きよし”と本来の自分である“山田清志(本名)”とのギャップに悩むこともあったのだろうとうかがわせる。それが休業中に自身を見つめ直し、さらに復帰後、待ちかねていたファンの反響を見て、いま一度氷川きよしとして生きていくことを決意した――メッセージからはその覚悟のほどが伝わってくる。

2000年デビュー、ノリのいい“股旅物”から王道の演歌へ

 25年前の2000年2月2日、氷川は「箱根八里の半次郎」で歌手デビューを果たした。この曲は、ばくち打ちや芸人などが各地を股にかけて旅するさまを歌う“股旅物”と呼ばれるジャンルで、当時すでに時代遅れと思われていた。当時22歳だった氷川も股旅と聞いて、猫が好むマタタビかと思ったという。

デビュー作『股旅演歌名曲選』(2000年)

 だが、所属する長良プロダクションの創業者で、多くの人気歌手を育ててきた長良じゅんは、氷川は股旅物を歌っているときに一番いい声を出すと見抜き、これでデビューさせると決めたのだった。ふたを開けてみれば、この時代にあって新人の男性演歌歌手では異例の大ヒットとなる。曲中のフレーズ「ヤだねったら、ヤだね」も流行り、翌2001年の新語・流行語大賞のトップテンにも選ばれた。