海の異変に気付き、急いで高台へ避難
自宅のすぐ前には、真浦漁港がある。
定置網の漁船が出入りする港だったのに、干上がって底が見えていた。
「こんなに潮が引くなら、大津波が来る」。南さんでなくても、そう思うだろう。地盤が隆起したせいだと分かるのは後のことだ。
近くの電柱に巻き付けられた注意標識には、「ここは海抜4m」「想定津波高は9.5m以上」と印刷されており、珠洲市のハザードマップによると津波の到達時間は地震発生から1~81分後とある。
すぐに逃げなければ助からない。
この日は正月とあって、普段は妻と二人暮らしの家に、娘や孫が帰省していた。
急いで全員で高台へ駆け上がる。海抜約30mの地点にある白山神社が集落の避難所になっていた。坂道は地震で割れるなどしていたが、歩けないことはなかった。この神社には多くの住民が避難した。
辺りの景色は一変していた。
間もなく日が暮れた。
ろうそくや食べ物はない。持って逃げる余裕がなかったのだ。暗闇の中で朝を待つ。
「停電していたので、海の様子が分かりません。津波が来るかもしれないから、自宅に戻るわけにはいきませんでした」と南さんは話す。
夜が白々と明けると、辺りの景色は一変していた。周囲の山々が崩落して、白い地肌が丸見えになった箇所がいくつもあったのだ。そうした箇所の下では、全壊状態になった家もあった。
驚いたのは、集落が孤立状態になっていたことだ。
海岸を東西に走る国道249号は、真浦町の両側でトンネルになっている。これらが双方とも山の崩落で通れなくなったのだ。
被害が酷かったのは東の逢坂トンネル(ほうさか、全長632m)だ。山の頂上付近からごっそり崩落した土砂で完全に埋もれた。同トンネルを抜けた先には帰省中の子や孫を含めて9人が土砂崩れの犠牲になった集落がある。
反対側の西にある八世乃洞門新トンネル(はせのどうもん、同722m)も、山の土砂崩れで半ば埋まった。





