搬送先は輪島市の中学校

 住民は自衛隊ヘリコプターのピストン輸送で救出された。ただ、搬送先は珠洲市ではなく、輪島市の中学校だった。

 というのも、真浦町から珠洲市中心部へ行くには、東の逢坂トンネルを抜けて約25kmも道路をたどらなければならない。珠洲市では市役所から最も離れた集落だった。

 一方、西の八世乃洞門新トンネルは、抜けるとすぐに輪島市の集落になり、真浦町は市境に位置していた。

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 このため輪島市側へ運ばれたのだが、既に中学校は避難者でいっぱいだった。しかも、市民ではないので長居するのははばかられた。真浦町からの避難者はまもなくバラバラに親類宅へ身を寄せるなどしていった。

輪島市側から八世乃洞門新トンネルを抜けると珠洲市の真浦町になる(奥能登豪雨前に撮影) ©葉上 太郎

珠洲市はずっと水道が使えないまま

 南さんは、帰省していた娘の家がある京都へ向かった。

 そこで2カ月間過ごし、夫妻で真浦町に戻ったのは3月3日だ。

 完全に埋もれた逢坂トンネルは相変わらずの姿だったが、八世乃洞門新トンネルは地震発生から半月ほどで崩落土を押さえる応急工事がなされた。片側車線だけだったが輪島市側から行き来できるようになっていた。電気も復旧していた。

 だが、水道が使えないままだった。

 珠洲市側の逢坂トンネルの先にある浄水場が損壊していたからだ。水道管も山の崩落でどうなっているか分からない。

 かたや、八世乃洞門新トンネルを抜けた、目と鼻の先にある輪島市の集落では3月19日までに水道が復旧した。

八世乃洞門新トンネルの入口は地震発生から半月後、山がそれ以上ずり落ちてこないよう応急工事がされた(奥能登豪雨前に撮影) ©葉上 太郎

 そこで、南さんら真浦町の住民は「輪島から緊急的に水を引いてほしい」と珠洲市役所に要望した。「トンネル内に仮設の水道管を敷設できるのではないか」と訴えたのである。

 全長722mの八世乃洞門新トンネルを経て、真浦町に設けられた配水施設までは1.8km。十分に仮設管を通せる距離だった。

 だが、行政の反応は鈍かった。

 こうした状況に水道が復旧した輪島市の住民からは同情の声が出ていた。「わずかな距離なのだから、仮設管を敷いてあげればいいのに。市が違うのは分かる。行政的に仕方のない面もあるでしょう。でも、水さえあれば避難先から戻れる人もいるのだから、本当に気の毒」と話す人もいた。