電気を通すよう訴えた池田さん
トンネルが開通した2日後、国交省の職員が現場確認に来た。
池田さんは職員を呼び止め、「電気を通してもらえるよう、電力会社に頼んでもらえないか」と訴えた。
珠洲市と輪島市の境は八世乃洞門新トンネルの真浦町側にある。このため輪島市の停電が解消されるとトンネルの中までは灯が点いた。だが、市境を越えた真浦町側は真暗なままだった。それまで何度もそういうことがあった。
訴えが実ったのか、国交省の職員に伝えてから8日後に電気が通じた。
電動ポンプが使えるようになる。池田さんは生活用水の確保に動き出した。
宿の隣には垂水川という小さな川が流れている。ここからくみ上げて、60トン入りのタンク2基に貯め、トイレや洗面に利用した。
調理用には、屋根に降った雨を集め、濾過・煮沸して使った。
海楽荘の再開を頼まれた
そうして自力で復旧作業を進めていた時、トンネルの先の輪島市側の住民に「営業を再開してほしい」と頼まれた。復旧工事などで来る作業員の宿泊場所に困っていたのだ。能登半島では宿泊施設が軒並み被災して営業できなくなった。作業員らは被害が少なかった金沢市などから何時間も掛けて往復していたが、これでは仕事にならない。
実際に「夜が明けるはるか前にホテルを出て、戻ったら深夜。睡眠時間が足りないので、交代で運転して眠りながら通う」という下水道復旧の作業員グループに会ったことがある。
被災地の海楽荘に泊まれたら、作業時間が長く取れるだけでなく、体を休められる。池田さんは「奥能登の復旧・復興を少しでも前に進めるために、どうにかして泊まってもらえるようにしたい」と強く思ったのだ。
ただ、被災した客室は使えず、大広間を4分割した“部屋”にしか泊められなかった。水は川からくみ上げても風呂には使えない。輪島市側で行われていた入浴支援や約15km先の温泉を利用してもらうしかなかった。
館内では最低限の水道配管を直したが、1カ所直して通水したら、次の壊れた箇所が見つかるというような状態だった。
なんとか寝泊まりだけはできるようになった2月15日、作業員やボランティアに限って受け入れを始めた。
多くの人から申し込みがあった。やはり困っていたのだ。



