「津波が押し寄せて来る気配がない」
地震が発生した2024年1月1日午後4時10分。
旅館には池田さん、妻、息子、そして2人のパート従業員がいた。
「凄い揺れで、部屋はメチャクチャになってしまいました」
海楽荘の前には、国道249号を挟んで日本海が広がる。潮が引いて、海の底が見えていた。
それほどの引き潮なら、大津波が予想される。このため、真浦町の人々は一斉に高台へ駆け上がった。津波避難所として指定されているのは海抜約30mの地点にある白山神社だ。しかし、海楽荘から登る道は地震で崩れて通れなかった。代わりに避難できたのは、少し高い場所にある旧観光施設の跡地だけだった。
池田さんは、ここへ避難する態勢を整えながら、沖合を注視した。が、一向に津波が押し寄せて来る気配はない。
「もしかすると、一帯が隆起して、潮が引いたように見えたのではないか」といぶかった。これは後に正しかったと分かる。
海楽荘のお客さん
間もなく日が暮れた。夜は停電で真暗になった。辺りがどうなっているか分からず、車の中で夜明けを待つしかなかった。
被災時、旅館に宿泊客はいなかった。
予約客はいた。道路が寸断されて、10kmほど離れた観光名所・白米千枚田の辺りで立ち往生していたのだ。もはや海楽荘に来るどころではなかった。
道路の隆起や段差、家屋の損壊
翌朝、激しい被災状況が分かってきた。
真浦町は海岸を国道249号が貫いて走っている。東西にトンネルがあり、これを通らないと外には出られない。
しかし、東側の逢坂トンネル(ほうさか、全長632m)は、山が頂上付近から崩れて完全に埋もれていた。その先の道路を約25kmたどると珠洲市役所だが、トンネルの入口さえ分からない。
西側の八世乃洞門新トンネル(はせのどうもん、同722m)も半ば土砂崩れに埋もれていた。
池田さんはその土砂を乗り越え、トンネルの先に行ってみた。出口には輪島市の集落がある。「あちらも道路の隆起や段差、家屋の損壊で大変な状態でした。それでも、パート従業員の2人には土砂を乗り越えて帰宅してもらうしかありませんでした」。
実質的に孤立状態になった真浦町には、自衛隊のヘリコプターが飛来した。そして、ほとんどの住民が輪島市の中学校に運ばれた。




