池田さんの心遣いが多くの宿泊者に喜ばれた

 瓦礫処理のために宮城県から派遣された人は70日間も泊まった。それまでは「車中泊をしていた」と疲労困憊の様子で語った。

 仮設住宅の建設作業員も長く逗留した。

「雨がしのげて、トイレも使える。最高ですよ」。泊まった人は口々にそう言った。

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 料理は当初、冷凍庫にあった材料などを使って簡単にしか出せなかった。しかも、食事を並べる広間では雨漏りがした。それでも宿泊者は「温かいご飯が食べられるだけで嬉しい」と喜んでくれた。

 池田さんは、せめて地物の魚を味わってもらいたいと考えた。

 海岸の隆起で漁業が壊滅的な打撃を受けた輪島市に対し、珠洲市では限定的ながらも操業を再開できた港があった。蛸島漁港はそのうちの一つだ。池田さんは早朝から仕入れに出掛けた。道路が寸断されて遠回りしなければならず、片道1時間以上かかったが、苦にならなかった。「魚料理で喜んでもらいたい。作業の疲れを癒してもらいたい」という気持ちの方が強かった。

魚が美味しかったホテル海楽荘。フロントには多くの色紙が張ってあった ©葉上 太郎

こだわりの夕食に舌鼓を打つ

 仕事やボランティアで泊まる人にはインターネット環境が必要だった。

 だが、真浦町でサービスを提供していた能越ケーブルネットは、ケーブルを通していた逢坂トンネルが埋もれて使えなくなった。そこで、ボランティアがスターリンク(米国の衛星インターネットサービス。国内では米国の会社と提携したKDDIなどがサービスを提供)を持参した。その後、KDDIが「経産省に言われた」と無償でスターリンクを設置していった。

 私が取材で泊めてもらったのは、9月5日のことだ。

 働き手は池田さんと妻、息子の3人だけで、忙しそうだった。

こだわりの夕食と朝食のメニュー。ガンドのフルコースだった(奥能登豪雨前に撮影) ©葉上 太郎

 こだわりの夕食は、ガンドの胃袋、カルパッチョ、ステーキというフルコース。ガンドは北陸の呼び名で、ブリに「出世」する前のハマチのことだ。

 一緒に泊まった復旧作業員らは「凄い」と歓声を上げて、スマートフォンで撮影する。缶ビールを片手に「うめーっ」と舌鼓を打つ。