消灯の時間が決まっている理由
夕食の後、池田さんに2時間ほど話を聞かせてもらった。復興への熱い思いだけでなく、能登観光についての問題意識、漁業の将来、能登ならではのクジラ漁など、話題は尽きなかった。
取材をしたのはロビーの片隅のソファだが、宿でスターリンクのインターネットがつながるのは、この辺りだけだった。作業員達も三々五々集まって来て、酒をちびちび飲みながら歓談する。
テレビが置かれていたが、「BS放送だとプロ野球や昔のドラマばかりです」と池田さんは苦笑いしていた。トンネルが埋もれてケーブルテレビ会社のケーブルが切断したため、地上波は見られない。戸別アンテナで受信できるBS・CS放送しか視聴できなかったのだ。地震の発災直後はNHKがBSで地上波の総合テレビのほぼ全ての番組や、金沢局のローカルニュース、災害情報など流していたが、これも6月末で終了していた。
午後9時半が過ぎると、もう消灯の時間だった。広間を四つに区切った“客室”なので、電灯は一斉に消さざるを得ない。
私は一番奥の“部屋”を割り当てられた。インターネットどころか、携帯電話やラジオの電波も届かず、社会と隔絶されたような気持ちになる。その分、すぐに眠りに落ちた。
柔和な笑顔で見送る姿
翌日は、ガンドの味噌煮やゼンマイの朝食だった。
作業員達はバタバタと現場へ向かう。
池田さんも出掛ける用事があるというので、私も急いで出立した。
「また、泊まりに来てくださいね」と、柔和な笑顔で見送られた。
前夜に聞き逃した話がたくさんあり、「水道が通った頃に来ます」と告げると、「ぜひ」と話していた。
それからわずか16日後、よもやあのようなことになろうとは、想像だにしなかった。
撮影 葉上太郎
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