植物と天敵

髙林 確かに「かおりを介した植物間コミュニケーション」の研究は一時的にストップしてしまった。でもストップしている間に「かおりを介した植物と天敵間のコミュニケーション」という研究が進んだんです。これは、植物が虫に食われたときに「助けて」と“かおりの声”をあげて天敵を呼びよせる……というものなんです。ちょうどその研究がまさに花開こうとしていた時期、1988年に、私はオランダに留学していて、その研究に当初から加わりました。与えられた研究テーマは、ハダニという葉の汁を吸う害虫が葉っぱにたかると、その葉っぱが「助けて」というかおりを出して、ハダニを食べる肉食性のダニ(チリカブリダニ)を誘引するという現象を詳しく調べるというものでした。私はそれまでずっと寄生バチの行動生態学と生理活性物質を研究してきました。留学当初は正直「寄生バチに比べたらダニは退屈そうな生き物だなあ」と思ったんですが、研究を続けるうちに、だんだんとダニも賢いことがわかってきまして。毎日じっと見ているうちに「あ、こいつこんな戸惑う行動するのか」とか「かおりを学習してる」とか分かってくると、愛情が湧いてくる。そうすると、向こうも機嫌よく動いてくれる気がするんですよね。以心伝心と言いますか。まったくもって科学的ではないですけれど(笑)。

 

上橋 寄生バチって、映画のエイリアンみたいなことをしますし、正直なところ、私はダニも寄生バチも苦手ですけど、愛着が湧くと楽しくなってくるのは、なんとなくわかります(笑)。ダニの研究は植物と他の生き物とのコミュニケーションの研究だと思うのですが、植物間コミュニケーションへと軸足を移されたきっかけは?

髙林 私はワーゲニンゲン大学昆虫学部にいたのですが、アムステルダム大学の生態学研究室と研究交流がありました。1989年の春頃だと思いますが、アムステルダム大学で、植物間のかおりコミュニケーションの研究を再構築しようというセミナー発表を聞いて、私もそれに興味を持ちはじめていたので、研究をスタートさせました。なので、最初は、植物と天敵のコミュニケーション、というのが研究のメインで、途中から植物間のコミュニケーションにも対象が広がっていったわけです。留学中の2年間で植物と天敵とのコミュニケーション研究ではある程度の研究基盤を得ることができました。帰国後に、植物間コミュニケーションのほうも並行して研究をするようになりました。結果がまとまって最初の論文が出たのが2000年です。不思議なもので、私たちと、アメリカと、ドイツの3つの研究グループが同じ2000年に「今度こそ正しい」という論文を出したんですね。

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上橋 まったく別の国の研究者たちの論文が、ほぼ同時にって、すごいですね。

髙林 ええ、不思議なことに。それも、今回はいずれも「植物間コミュニケーションは、本当にある」とはっきり示す内容でした。なので2000年は「植物間コミュニケーション再訪の年」と言われているんです。


構成:岩嶋悠里
撮影:深野未季

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