研究が、新たな景色を見せてくれる

上橋 跳ぶ前の段階で、頭の中で「向こう側に見える景色はこうなのでは」という仮説を立てていらっしゃいますか?

髙林 ぼんやりとはあります。けれども、跳んでいくうちに「別の面白い景色もあるかも?」となってくる場合もあります。例えば「害虫に食べられている植物が、その害虫の天敵に助けを求める」という現象が対岸にぼんやりと見えているとします。それで飛び石を跳んでいくと、景色がだんだん確かになってくる。さらに飛び石を跳んでいくと「植物間コミュニケーション」という新たな景色も拓けてくるんですね。なので、最初の方向にも跳ぶけど、枝ができるように、新しい景色が見えたらそっちにも跳ぶというような感じですね。

 

上橋 先生、それ、私が物語を書いている時と似ているかもしれません。私も頭の中には物語全体のイメージが何となくあるんです。展開や結末などの具体的なものではなくて、イメージの塊のようなものです。あるとき、ふいに、とても印象的なイメージが頭の中に浮かんで、ああ、書きたいな、と思ったときに物語が生まれてくるんですが、プロットも何も作らずに、最初の一行目から書き始めるので、そこから先は先生がおっしゃったように飛び石をひとつずつ跳んでいくんです。ひとつの飛び石の上に立つと、次の飛び石が見えてくるんですよ。そうやって書いていくうちに、「あ、これは違う。あれ? そうか、こうなるんだ」と、次第に見えてくる景色が明確になって、最終的に作品として出来上がるんです。無数にあった、ぼんやりと見えていた道がどんどん定まっていくというか。

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髙林 なるほど。なんかすごく似ていますね。そういうところが、研究や創作の楽しさ、醍醐味なのかもしれないですね。

上橋 そうですよね。楽しいですよね。私の場合は、自分がどうやって物語を書いているのかよくわからないところがあるので、とても怖いし、猛烈に苦しくもありますが(笑)、 研究も、私の場合、苦しくもあり、楽しくもありました。先生は、いかがですか?

髙林 それはもう苦しいこともあります。でも自分のやりたいことをできるのはすごくいいですよね。研究者の先輩からも「興味の赴くままにやらなあかんで」と言われたことを思い出しました(笑)。