研究、創作の醍醐味
上橋 髙林先生はなぜ学者を目指されたのですか? 私、大学で修士課程から博士課程に進もうと思ったとき、面接をしてくださった恩師から、「博士課程まで行ってしまうと、その先の生活が不安定になるかもしれないわよ」と心配していただいたことがあったんです。
理科系の場合も、研究にはものすごく時間がかかるうえに、成果が出るかどうかもわからないですよね。それでも学者を続けていこうと決心されたのは、やはり先生の中に「研究が好き」という気持ちがおありだったからですか?
髙林 おっしゃるとおり、好きだという気持ちがベースにあります。ただ、生態学の研究では、真実はいつもひとつというわけではなく、また、真実にたどり着けるかどうかもわからないので、いわばギャンブルで(笑)、やってみないとわかりません。でも「だいたいわかっていることをやっても面白くない」わけです。
上橋 あ、なるほど! それは確かに! そういう「わかっていないこと」を探る中で「これがあるから研究はやめられない」と感じられたことはございました?
髙林 研究の一歩一歩がすごく面白いですね。上橋先生は長編作家でいらっしゃるけど、私は作家に例えるなら、短編小説家なんですね。データセットが登場人物だとすると、わりと少ないけれど、小さくても新しい視点が示せているような論文が多いです。日本庭園の飛び石を思い浮かべていただきたいのですが、その石のひとつひとつが短い論文。跳ぶ前に庭園の岸から見えていた庭園全体、あるいは対岸の景色と、飛び石を跳んで行って、池の真ん中から改めて見るのとでは、目に入る景色がぜんぜん違ってきます。小さな論文を積み重ねていって変化していく景色とか、積み重ねていった先の対岸にある、かおりの生態系のような面白い世界へ近づいていく楽しみが原動力なのかもしれません。
上橋 うわ~、それは素敵な例えですね!
髙林 研究において、いっぺんに対岸に跳ぶような跳躍力をもっている研究者は普通いません。最初に立っていた岸辺から池の真ん中へと、小っちゃい飛び石を作りながら渡っていくように研究を進めます。もちろん「すごくいい飛び石ができちゃった」という時もあれば「これはちょっとヤバいな」という飛び石もありますけれども(笑)。