売れっ子になっても徹夜をしなかったワケ
水木荘を買い取ってから15年、43歳の遅咲きのデビューだった。
水木の世代は戦争が強烈な体験になっていたのは間違いない。特に水木は片腕を失い、文字通り生きるか死ぬかの最前線にいただけに復員後はぶれない軸があった。
「『これからの人生は好きなことやって死のう』と思った。好きなことといっても遊びではない。興味があって、しかも生活できるものでなくてはいけない」(同前)
元来の好きなことしか続かない性格を無理に変えずに生きていこうとの決意がうかがえる。楽しいことをしてラクして、寝たいだけ寝て暮らす。この精神はリンタク、アパート経営、漫画全てに通じる。やれそうならやって、ダメになったらやめる。
魚屋がダメならリンタクに、紙芝居がダメなら貸本に。固執せずに軽やかに生きた。
水木は売れっ子漫画家になっても徹夜を殆どしなかったことは有名だ。手塚治虫も石ノ森章太郎も同時代の売れっ子は2日も3日も徹夜して、そのままパーティーに出たが、眠りに弱い水木には信じられなかった。
あなたの横にもいる妖怪
徹夜は週に1度がやっとで、徹夜した翌日は10時間以上寝たというから、徹夜の意味があまりない。水木の壮年期は食うためにはなんでもやった時代で、特に戦後すぐは正業も副業もない時代だった。今とはあまりにも時代背景も違うが水木はこう諭す。
サラリーマンの大半は、幸福になる努力が足りない。まずにおいをかいで、幸せの方向をちゃんとつかんで、階段を上がるようにしないといかんです。幸せにつながらない階段を上がっちゃだめですよ。もっとも、そうしたいと思っても無理、という立場の人もおるでしょうね。かわいそうだけど、それはしかたない。
ところが、幸福のためには全く役に立たないことをやってて疑問を感じない人たちもたくさんいる。これは一種の妖怪ですよ。[『読売新聞』2004年10月5日付朝刊一五面]
果たして、あなたは妖怪になっていないだろうか。
ライター
1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。
