『ボーイング 強欲の代償 連続墜落事故の闇を追う』(江渕崇 著)

 2018年と2019年に立て続けに墜落したボーイングの旅客機737MAX。事故原因ははっきりしている。操縦特性増強システム(MCAS)の誤作動だ。

 著者が鋭く追及する真因はボーイングの経営にある。かつての737は燃費性能でエアバスのA320に劣後していた。しかし、新型機の開発には莫大な開発投資を要する。現行モデルにA320と同じ大型エンジンをつけて手っ取り早くエアバスに対抗するというのがボーイング経営陣の判断だった。ところが、このアイデアには構造上の無理があった。MAXの機体が抱える不安定さを事後的に補正する仕組みがMCASだった。しかも、この機構の存在はパイロットには知らされていなかった。パイロットの訓練コストを回避し、MAXを売りやすくするためだ。コスト削減を安全性に優先したことが悲惨な事故をもたらした。

 資本市場での経営の通信簿はEPS(1株当たり利益)だ。開発投資を削減し、利益をひねり出す。しかし、それにも限界がある。手っ取り早いのは分母操作。分母が小さくなればEPSは上がる。すなわち自社株買いだ。かつては禁じ手とされていた自社株買いは、80年代から株主還元の手法として広まり始め、90年代末には配当を上回る額にまで膨らんだ。

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 市場が成熟し投資先が見当たらないという状況下では、自社株買いには一定の合理性がある。しかし、ボーイングには投資すべき対象があった。にもかかわらず経営陣は巨額の自社株買いに明け暮れた。先進的な研究開発に邁進するエンジニアリングの会社であったボーイングは、株主利益を何よりも優先する金融マシンへと変質した。墜落事故はその延長線上にある。

 問題の核心は経営者の近視眼的強欲にある。経営者の報酬がばかばかしいほど貢献とかけ離れたものになっている。事故を受けて解任されたボーイングのCEOは通常の報酬とは別に6000万ドル超を受け取る権利を得ていた。キャッシュを吐き出し株価を上げる動機は株主利益を隠れ蓑にした経営者の私利私欲にある。目先の株価と過剰に連動した報酬システムを見直す。プロフェッショナリズムに欠ける人物を経営陣から排除する。そこに取締役会や監査役会の本来の役割があるはずだ。

 株主資本主義かステークホルダー資本主義かといったマクロの体制選択の問題ではない。マクロはミクロの集積として存在する。多くの人が短期へと流れていく中で、長期視点を回復する。ここにリーダーシップの本質がある。まっとうな経営で長期利益を実現し、好循環を生み出すことによって株主のみならず、顧客や従業員に報いている経営者はいくらでもいる。すべては経営者次第――本書はこの当たり前の真実を突きつけている。

えぶちたかし/朝日新聞記者。1976年、宮城県生まれ。98年、朝日新聞社入社。経済部、国際報道部、米ハーバード大学国際問題研究所客員研究員、日曜版「GLOBE」編集部、ニューヨーク特派員(2017~2021年、アメリカ経済担当)、日銀キャップ等を経て2022年4月から経済部デスク。
 

くすのきけん/経営学者。一橋ビジネススクールPDS寄付講座競争戦略特任教授。著書に『楠木建の頭の中』『「好き嫌い」と経営』など。