再開発前の公園は「公共的」だったのか?
しかし、ここで考えたいのは、そもそも、その前身の宮下公園は「公共的」だったのか? という疑問だ。というのも、宮下公園の姿を見ていると、むしろ、そこはホームレスが「選択」されていた空間だったのではないかとも思えてくるからだ。
以前の宮下公園は、どこか鬱蒼として薄暗く、若者たちがふらっと集まるには適さない場所だった。ホームレスが野宿をしていたり、あるいはスケートボーダーの聖地になっていたりして、「どこか立ち寄りがたい場所」というイメージが強かった。今でも、SNSで検索すれば、かつての宮下公園が「怖い」ものだったと言う人の声が見つかる。
一方、そのような場所だからこそ、生活の場を追われたホームレスの人々が集まることができたし、ちょっと社会からはみ出たような人々(あるいは社会によってはみ出さざるを得なくなった人々)が、そこに集まっていた。ホームレスの人々の集まる場所になったのは結果論だろうが、いずれにしても、そこは独特な雰囲気を持っていたのだ。
アンケートでは半数以上が「良くなった」と回答
宮下公園が、ある種近寄りがたい雰囲気を持っていたことは、アンケート調査の結果からもわかる。株式会社ネオマーケティングの調査によれば、宮下公園の再開発によって、付近のエリアイメージが良くなったと感じる人は回答者の50.6%で、これは都内の他の再開発エリアに比べても、きわめて高い割合だという。いかに、かつての宮下公園に近寄りがたい雰囲気を感じていた人が多いかを裏付けるものだろう。
そもそも、このMIYASHITA PARKの再開発は、宮下公園が公共空間として人々が集まる空間の役割を果たしていないことを問題視して行われた側面が強い。公共空間としての質が問われて、再開発が決まった経緯もあるのだ。その設計に携わった日建設計の三井祐介は「一つの公園であらゆる『多様性』や『公共性』を引き受けることは困難である。[……]ミヤシタパークが補完している公共性は、確かにあると考えている」と述べている(「解説 MIYASHITA PARKの枠組みとプロセス」建築討論)。