つけ麺を考案し、世に広めた“伝説のラーメン職人”山岸一雄。弟子の田内川真介は、なぜ彼の遺した「味」と「心」を継ぐことを決めたのか。『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと 「お茶の水、大勝軒」田内川真介の変えない勇気』より一部抜粋し、その理由を尋ねた。(全2回の前編/続きを読む)

 

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「お茶の水、大勝軒」の店主である田内川真介(以下、真介と記す)というラーメン職人は、どこからその道に入り、どのような経緯で人気店の経営者になったのか。それを知るためにも、私は彼の師匠である山岸一雄という伝説の職人がどんな人物だったのかを知っておきたかった。

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 名人や達人ではなく、“神様”とまで呼ばれた山岸は、どこがそんなにすごかったのだろう。

ラーメンの神様、山岸一雄

北尾 まずは山岸一雄さんのことから始めたいと思います。山岸さんは“ラーメンの神様”と呼ばれ、「つけ麺」という食べ物を考案して世に広めたことでも有名な人。そして田内川さんの師匠でもあります。

真介 あれ、今日はトロさん堅苦しいですね。いつもは田内川さんなんて言わないじゃないですか。

北尾 たしかに喋りづらい。じゃあ真介さんにしよう。

真介 師匠のことも、トロさんは山岸さんと呼ぶけど、僕はこれまでマスターとしか呼んだことがないからそのままでいきますね。

北尾 昭和の呼び方だよね。昔は喫茶店でもスナックでも、経営者をマスターと呼んでいた。

 

真介 マスターは僕の唯一の師匠というだけじゃなくて、ラーメン業界を代表するレジェンドだと思います。あの人の弟子になっていなければ僕はラーメン職人にはなっていなかったし、独立して「お茶の水、大勝軒」を経営することもなかった。でも、有名人だからみんな知っているんじゃないですか。

「お茶の水、大勝軒」は貴重な存在

北尾 それは業界内の話で、一般的には40代以上なら名前くらいは聞いたことがありそうだけど、若い人や女性はそうでもないと思いますよ。

真介 なんか悔しいな。だけど、トロさんだってうちで初めて大勝軒のラーメンやつけ麺を知ったようなものだから、案外そうかもしれない。

北尾 山岸さんが亡くなって10年近く経ったいま、名前や顔を知らない人たちも増えている。だからこそ、山岸さんの味を忠実に受け継ごうとする「お茶の水、大勝軒」は貴重な存在になっているわけです。

 

真介 うちで食事をしておいしいと感じてもらうことは、マスターの味をおいしいと感じてもらうのと一緒。100%とは言わないけど、ある程度そうなっていると思います。