千葉銀行の融資問題は既に一部株主が千葉地検に告発し、それをめぐって恐喝事件があったことから表面化。国会でも問題になり、地元千葉県や金融界では大きな話題になっていた。東京地検の捜査が順調に進めば、千葉銀行幹部の特別背任事件に発展することは確実。このような普通銀行の摘発は異例だけに、金融界には相当な影響があるとみられている。
調べによると、坂内、宗田は共謀して1956(昭和31)年12月28日、千葉銀行東京支店長を「近く日本勧業銀行(現みずほ銀行)から融資を受けることになっており、そちらからの借入金は必ず返すから」とだまして、当時千葉銀行の第一抵当に入っていた中央区銀座4丁目の建物の抵当権(1000万円)を抹消してもらった。また同じころ、同区日本橋浜町1ノ22,株式会社「正喜商会」(片山哲雄代表)も同様の方法でだまし、借金債権3100万円を担保とする不動産権利書、印鑑証明などをだまし取った。
ここまでが事件の概要。記事は続いて坂内ミノブの人間像を描写する。
戦後、女性実業家として活躍
坂内はかつて印刷業者と結婚したことがあるが、離婚後、月刊誌「潮流」「女性線」などを発行して出版業に乗り出し、株式仲間で派手な思惑買いをするなど、戦後の婦人実業家として活躍。舟橋聖一氏の小説『白い魔魚』のモデルにもなった女性だ。
現在住んでいる伊皿子の邸宅は3960平方メートルの敷地に建物が660平方メートルもあり、“伊皿子御殿”と呼ばれている。ところが、財産のほとんどは千葉銀行や金融業者の抵当に入っており、「レインボー」の事業として洋品店、貴金属店、レストランなどを経営しているものの、実態は火の車だといわれる。
『白い魔魚』は1955年に朝日新聞(以下、朝日)に連載された小説で、女子大生が家業と恋に悩みながら成長していく物語。翌1956年には松竹で映画化(中村登監督、有馬稲子主演)され、高峰三枝子が演じた女性実業家、篠宮紫乃がミノブをモデルにしたとうわさされた。
実際に小説を見ても、「仕事が派手なので、紫乃の身辺には、しばしば、浮名が立つ」など、そう思わせる描写も。しかし、著者の舟橋はミノブ逮捕時の3月31日付夕刊読売で「レインボーの女社長も、私は見覚え一つない」「彼女はおそらく自分が『白い魔魚』の中の女社長、篠宮紫乃のモデルだと言いふらしていたのであろう」と一蹴している。
記事には豪壮な“伊皿子御殿”と銀座「レインボー」のビルの写真が添えられている。この“伊皿子御殿”は1961年4月の一審判決によれば、1946年ごろ、長男名義で牧野貞亮・子爵=旧常陸笠間藩主・牧野家の養子で東宮(のちの昭和天皇)侍従などを務めた=から購入した。