森清は、現在の千葉県勝浦市出身の「昭和電工」創業者で「森コンツェルン」の総帥、森矗昶の次男で、三木武夫元首相の妻睦子の兄。古荘から古川に渡す金の仲介をしたかどうかで対立。前年9月に古川から偽証罪で告訴されていた。
三鬼の文章は「中央公論」1957年7月号掲載の「怪談・千葉銀行」で、検事が政治的判断で古川を逮捕したと記述したことから、急死した検事の遺族との間で裁判になっていた。特別背任罪は、会社の役員が、自分や第三者の利益のためか、会社に損害を与える目的で、任務に背いて会社に損害を与えるもの。こうした動きを特捜部はじっと注視していたに違いない。
「もはや戦後ではない」多くのことが変化した時代
この年、1958年は「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言した2年後。経済成長期に入ってすぐのころで、多くのことが変化していた。家電では「三種の神器」と呼ばれたテレビ、洗濯機、冷蔵庫の普及が進み、「オートメーション」化が進展。団地が次々出現した。「トーストを食べ、ナイロンの服を着る」時代へ。「戦後は遠くなりにけり」という言葉が聞かれた。
売春防止法がこの年4月に実施され、各地で赤線と女たちが姿を消したが、陰では「売春汚職」も摘発された。そして、岸信介内閣はこの後、日米安全保障条約改定に本格的に向かうことになる。
事件の主役、古荘四郎彦の経歴
事件の一方の主役である古荘四郎彦については、金融界の著名人で経歴ははっきりしている。1884(明治17)年7月、熊本県生まれで、父は幕末の思想家・横井小楠の親族で弟子でもあった。東京帝大(現東大)独法科卒業。
「帝国商業銀行、川崎銀行(現三菱UFJ銀行)、千葉合同銀行頭取などを経て1948年、銀行合同で発足した千葉銀行の頭取となる。戦後はワンマン経営を行い、東京温泉、日活国際会館建設、日平産業事件、白木屋乗っ取り事件などに関係して話題を呼んだ」(『別冊1億人の昭和史 昭和史事典』より)。
友人の河合良成=小松製作所(現コマツ)会長=の紹介で東京川崎財閥の総帥・川崎八右衛門の知遇を得て、川崎銀行の“尖兵”として、小銀行が群雄割拠していた千葉県の銀行統合に尽力した。