眼に狂気を宿した信者たちに取り囲まれて
この日は20人くらいの集団が総本部からいきなり飛び出してきて我々はあっという間に眼に狂気を宿した信者らに取り囲まれ、脚立に至ってはオウム真理教の信者がよじ登り占拠されてしまった。集団は大声でわめきつづけ、私の顔やレンタカーのナンバーや脚立に書かれた「文藝春秋」の社名などにも、そんなに近づけたら写らんのにというレンズをドアップで近づけてくる。
まあ威嚇のつもりであろう。そのなかでひときわ凶暴だったのがスキンヘッドで鋭い目つきの新實(にいみ)智光とざんばら髪の岡崎一明であった。岡崎は当時は佐伯姓であったが、のちに麻原をゆするほどの大悪党になり、新實は後にオウム真理教の疑似国家の自治大臣となり、凶悪事件のほとんどの実行犯になった。このとき私が総本部内に拉致されていれば二度と生きて外に出られなかったであろう。
私もただカメラマンの本能のおもむくままこの狂気にレンズを向けるしかなかった。信者が私のカメラを取り上げようと飛び掛かってくる。今思えばひときわ目立つ髪の長い女性は(オウム真理教の)大蔵大臣でもあり、麻原の愛人でもあったケイマこと石井久子であった。新實が強がってか、余裕を見せてるつもりか、レンズにむかって両手でピースサインをかましてきてせせら笑う。
脚立やレンタカーを占拠され、狂気の表情から危険を察知し、もはや取材続行は不可能と判断。「Mさん、110番や。お好み焼き屋の駐車場の公衆電話! 早く!」スマホなんぞ夢にも見なかった36年前のことである。当時の富士宮周辺は携帯電話の電波も通じていなかった。
岡崎や新實の常軌を逸した怒り、信者の人波が割れて現れたのは…
「こちらも110番だ!」新實も素早く反応するが、駐車場まで駆けつけるこちらより、総本部内に駆け込むオウムの方がいち早く警察につながったようであった。信者に私が小突き回されている間にも、そこらへんで隠れて見ていたんちゃうかというくらい、アッという間に白黒パトカーに捜査車両まで駆けつけてきたかと思うたら、中から飛び出た捜査員らはカメラを構え我々でなく、新實や岡崎ら信者にレンズを向けて写真を撮り始めたのである。
それが岡崎や新實の怒りの火に油を注ぐことになった。捜査員に飛び掛からんばかりのその怒りぶりはまさに常軌を逸していた。我々はそこから避難するようにパトカー車内に押し込まれた直後、あたかも映画「十戒」のモーゼが紅海を渡るシーンのように信者の人波が割れた。
あたりは一瞬で静まり返り、真ん中を一人の男が歩いて出てきた。
「刑事課長さんはいますか?」妙な訛りのある声を張り上げた。信者たちが雷に打たれたように硬直しているが、悪夢をみているように眺めるしかなかった。それが戦後最悪の犯罪者・麻原彰晃と私の初対面であった。
写真=宮嶋茂樹
