つまずいた石
「つまずいた石は踏み石にせよ」というのは、「国産ロケットの父」と言われる糸川英夫の言葉である。
彼は陸軍の「九七式戦闘機」や「隼」「鍾馗」などの戦闘機を設計し、戦後は東京大学生産技術研究所でペンシルロケットから始まる日本のロケット開発を先導した工学者だが、その開発や人生は挫折の連続であった。失敗をするたびに、彼はこんな話をした。
「石につまずいてころんだとする。この時、コンチクショウとばかりに腹をたてて、その石を蹴っ飛ばしたりすると、また足に傷ができるだけです。自分をつまずかせた石を、そっと拾って家へ持って帰れば、何かの役にたつでしょう。なにかに失敗した時、つまずいた時に、他人をうらんだり、自分の不運に泣いたりしていてはなにもよくならないのです。失敗や不運は、必ず踏み石になって、もう一つ高い所に登る役にたつはずです」
野崎は非力を顧みず、つまずいた石を踏み石にする代わりに、取り除こうとした。現場組の代表である編成部長に対しては、歴代の役員がこれまで言えなかったことを指摘した。それはやがて大きな人事異動につながっていく。
「派閥次元でものを考えたり、人を動かしたりすることに、僕は反対や」
野崎が言うと、編成部長は憤然と席を立ち、部屋を出ていった。その直後にバーンという大きな音がした。職員が驚いたように言った。
「ロッカーを足蹴にしていかれましたわ」
――心が冷えるわ。現場から意地悪されるのが嫌で、球団の幹部も「ふんふん」と言うことを聞いてきたんやな。ノムさんが、「だからタイガースは強くなれないんだ」と言うわけや。
野崎は、前監督の吉田が「脇役ばかりで戦ってるようなものです」と漏らした言葉を忘れなかった。では、脇役ばかりの状態にしたのは誰か。直接の責任者は歴代の球団本部長であり、編成部長である。そして、その配下のスカウトたちだった。
勝負手は大胆に打て
成績不振に加え、妻の野村沙知代の脱税事件が発覚して野村が去ると、星野仙一が第29代監督に就任した。2001年オフの12月、社長だった野崎はコーチを集めて長い話をした。
「闘将星野監督の指導のもとに、タイガース再生を実現するつもりでいます。野村、星野監督と2代に渡って日本で最高峰の監督の下で仕事ができるという喜びを持ってもらい、コーチ諸君が監督から積極的に学び取り、コーチ諸君が成長してくれることを期待しています」
「コーチ諸君」と2度も叫び、こうも言った。
「野村監督を招聘してもチームが勝てなかったのは、プロ野球団としての経営が間違っていた、と反省をしています。この長い低迷はフロントが戦力を整備できなかったことにあると考え、その弱点の補強に着手しました。戦略面でも、4年連続最下位という危機的状況を踏まえて最大限の補強をすることに決めました」
その宣言通り、野崎はフロント改革と、かつてないFA補強に乗り出す。野崎は8か月後、星野にこう言った。
「広島の金本知憲を獲りましょう」
野崎が前監督の野村が言った「補強にカネをつぎ込んでくれ。カネを出さなければ勝てない」という言葉を忘れなかった。金本獲得は負けを見続けてきたサラリーマン社長の勝負手だった。
「カネモト?」
星野は虚を突かれたように声を漏らした。
「社長、本気ですか?」
椅子にちょこんと座った社長の目を、闘将は覗き込んだ。いまにつながる強いタイガースへの夢はそこから始まっている。
