明かされた衝撃的な生い立ち
それまで彼女は、バングラデシュ人の父親と、ロシア人と日本人のクォーターの母親のあいだに双子として日本で生まれ、さらにその下の弟と妹も双子だと公表していた。しかし、このときの告白によれば、両親はローラが1歳のときに離婚しており、それにともない彼女は双子の兄とともに日本からバングラデシュの親戚に預けられたという。現地ではジャングルでマンゴーを採って食べたり、池を風呂代わりにしたりという貧しい暮らしを送っていたが、それを楽しそうに語るのがいかにも彼女らしかった。
かつてローラが出演して話題を呼んだ企画に、テレビ朝日のロケ番組『いきなり!黄金伝説。』でタレントのSHELLYと挑戦した無人島でのサバイバル生活(2013年)がある。このとき彼女は、遊ぶようにして希少なフルーツを発見したり、海でたくさんの鯛を釣り上げてその場でてきぱきと調理してみせたりと、サバイバル能力の高さを発揮した。その能力も、幼い頃に大自然のなかですごした経験で培われたものと考えると納得がいく。
バングラデシュで育ち、ベンガル語しか話せなかった
『徹子の部屋』での告白はさらに続く。6歳ぐらいで再び日本に戻ったとき、父は中国人の女性と再婚していた。しかし、それまでバングラデシュで育ち、ベンガル語しかしゃべれなかった彼女は、養母となったその女性とコミュニケーションがとれなかった。それでも、数学教師であった養母は、厳しいながらもローラに数学のほか掃除など家事も教えてくれたという。父と養母のあいだにはやがて双子の弟・妹が生まれた。ローラは、自分を含む4人の子供を育ててくれた養母に感謝の念を示している。
帰国して入った小学校でも、ほかの生徒とは言葉が通じないので、身振り手振りを交えながら意思を伝えるようになる。例の“たこ焼きポーズ”などの独特のボディランゲージも元はといえばそこから生まれたのだと、彼女は30歳をすぎてようやくわかったと笑いながら明かしていた。言葉が通じなくても、学校では一度もいじめられたことはなかったという。
両親が離婚して以来、生母とは会うことがなかったが、26歳のときに再会する。会ってみると自分とそっくりで、シャイだけどおしゃれが大好きで、バイクを乗り回すアクティブな一面もあった。さらに生母もローラも宇宙人が大好きで、その話で一緒に盛り上がったりもしたという。その後、生母は彼女の住むロサンゼルスにもたびたび訪ねて来ては、料理をつくってくれたり、恋愛の話をしたりと関係は良好のようだ。
このように複雑な生い立ちとはいえ、当のローラはこれまでを振り返って、自分には後悔は一切なく、いまとなってはすべてに感謝していると語っていたのが強く印象に残った。

