―― 作品はどんな内容だったんですか? 

庵野 1本目は、やっぱりアニメーションというのはちゃんと起承転結があって、短編にしなきゃいけないみたいなくくりが頭にあったので、星新一さんのショートショートみたいなものを作ってましたね。1本目のフィルムはどこかに行っちゃってもうないんですけど。2本目は、なんかどうでもいいような内容にやっぱりなっちゃいますね。高校生が考えるようなことなので、あんまり面白くはないですね。一番初めに自分で描いたアニメというのは、宇宙戦艦ヤマトが手前に来るだけのもの。

―― ゴゴゴゴッと来るんですか。

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庵野 ゴゴゴゴッと。カメラ前を抜けてアウトしていくという。あれが最初に描いたアニメですね。

©藍川兼一

―― ワイドレンズでグワーッと来る、ああいうカットですか。

庵野 ええ。アニメにあったようなのを自分でも描いてみたいと。

―― やっぱりあれはインパクトがありましたよね。

庵野 ありましたね。

―― 見たことのない映像でしたよね。

大阪芸大への進学を決める

―― 大阪芸術大学に進もうと思ったのはその頃、高校時代ですか?

庵野 いや、浪人してからですね。

―― 進学校だったのでまずは普通に受験したという感じですか?

庵野 そうですね。受験はしたんですけど、ちょうど僕らの時から共通一次というのが始まって、公立大学は一次、二次になったんです。共通一次の時に、全体の5教科のトータルの点数でまずふるいにかけられるんですが、その中に英語が入っていた。中1の時の英語の先生がすごく苦手な人だったので、その時にもう、自分は英語を必要としない、絶対に英語は勉強しないと誓ったんです。なので、中高と英語の勉強というのはほとんどしていなかったので、それが科目に入るということは、もう落ちるということです。

―― じゃあ、最初から諦めてた?

庵野 公立大学にはどこも入れないなと。高校の時、英語だけは赤点だったので。でも、親は必ず4年制の大学に行ってくれという、これが悲願だった。自分に学がなかったというのがコンプレックスになっていて。それに行っていた高校が進学校だったので、進学率を上げるために4年制の大学どこでもいいから入れという要請があって。それで入れそうなところを探したら、大阪芸大というのが目についたんですよね。大阪芸大は学科試験がなかったんです。実技と面談だけだった。それなら大丈夫かなと。大阪芸大の入試案内を取り寄せて見たら、映像計画学科は実技が絵コンテだったんです。「絵コンテを描いたら通るんだ。これなら1年勉強しないでいい」と。だから、大阪芸大に入るつもりで、浪人の1年はほとんどアルバイトとかばかりでしたね。