東京の自主アニメ大会でわかったこと

庵野 その時に、プライベートアニメーションフェスティバル、PAFというのを、当時全国何カ所かでやっていて、その東京の大会が中野であって、それは自主アニメの大会だったので、山口から上京したんですよね。友達と一緒に。

―― それに出品されたんですか?

庵野 いや、してないです。どういうものなんだろうと見に行った。その時、グループえびせん(注3)というところのはらさん(注4)という方が作った『セメダイン・ボンドとG-17号』というペーパーアニメがあって、これがすごかったんです。自分にとっては青天の霹靂というか、紙でアニメを作っていいんだと。コロンブスの卵だった。計算用紙にマジックかピグマで描いていって、あとは色鉛筆で色を付ければいいんだと。ずっとアニメと言えばセルしか頭になかったのが、急に「あっ、紙でいいのか」と。はらさんには今でも感謝してます。

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―― いちいち穴を開けてタップで固定しなくていいし。

庵野 固定して、ペンで描いて、ひっくり返してセル絵の具を塗って、背景を付けてというのがアニメだと、固定観念で思い込んでいたんです。それが紙でいいと。じゃあ、ダイエーとかで売っている100円の計算用紙にペンで描いていいのか。しかも、計算用紙は薄いので、下が透けて見える。だから、トレース台(注5)も要らない。

―― そうすれば、動かす内容に集中できたということなんですね。

庵野 そうです。セルの時は下の絵が透けて見えますから、直接セルにペンで描き送っていました(注6)。それならトレース台も紙も要らない。それまでのセルアニメも効率論で作ってはいましたね。

©藍川兼一

―― 当時、1本の映画として作っていたと思いますが、アニメを描いて、それが実際にどう動くのかチェックするために撮影しているような感覚もあったんですか?

庵野 描いて動くのはうれしかったし、楽しかったですね。あと、上映すると手伝ってくれた人たちも喜んでくれる。そういう共通体験みたいなものもあってよかったと思います。やっぱり集団作業というのがいいなと。

―― 文化祭で『ナカムライダー』を上映してウケたりして。

庵野 そうですね。あれは美術部の予算でやりましたけど、事実上友達と2人でやってました。一緒にやってたのは美術部じゃなくて、天文部の友達。

―― でも、予算は美術部から。

庵野 美術部の予算で。

1)シネカリ フィルムに傷を付けて絵を描いてアニメーションを作る技法。8ミリの場合、フィルムの面積が小さいので極小の絵を描かないといけない。
2)流背(りゅうはい) すごいスピードで線状に流れるアニメの背景。
3)グループえびせん 1978年結成のアニメーション自主制作・上映サークル。主な会員は、片山雅博、はらひろし。、石田卓也、ふくやまけいこ、山村浩二、片渕須直、角銅博之、原口智生、池田成など。
4)はらひろし。 アニメーション作家。コメディ性の高い「セメダイン・ボンド」シリーズなどを制作。
5)トレース台 すりガラスの下に蛍光灯を入れたアニメーション作画用の台。アニメーションは少しずつ違う絵を描いて動かすので、前の絵を透過させて見ながら次の絵を描く。
6)描き送る アニメ―ションを作画する時、初めの絵から順番に描いていくこと。

<聞き手>こなか かずや 1963年三重県生まれ。映画監督。小学生の頃から8ミリカメラを廻し始め、数多くの自主映画を撮る。成蹊高校映画研究部、立教大学SPPなどでの自主映画制作を経て、86年『星空のむこうの国』で商業映画デビュー。97年、『ウルトラマンゼアス2 超人大戦・光と影』でウルトラシリーズ初監督。以降、監督・特技監督として映画・テレビシリーズ両方でウルトラシリーズに深く関わる。特撮、アニメーション、ドキュメンタリー、TVドラマ、劇映画で幅広く活動中。主な監督作品に、『四月怪談』(1988)、『なぞの転校生』(1998)、『ULTRAMAN』(2004)、『東京少女』(2008)、『VAMP』 (2018)、『Single8』 (2022)、『劇場版シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(2023)など。