―― 特撮的なことも使って?

庵野 ええ。シネカリとスチールアニメですね。

『ナカムライダー』©H.ANNO

―― 写真で撮って、それをアニメーションとして動かすんですか?

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庵野 そうです。

―― 人物だけ切り抜いてとか?

庵野 そういうのもやってましたね。人物だけ切り抜いて、後ろをフラッシュPANにして、アニメの……。

―― 流背(注2)みたいな?

庵野 流背で流れるとか、そういうのをやってましたね。あと、爆発もセル絵の具を上から描き足していった爆発とかですね。

―― 1コマずつ撮っては絵を描き足していくんですね。仮面ライダー的なマスクは作ったんですか? 

庵野 合羽を被るだけです。

―― カッパ?

庵野 合羽のフードを顔まで被って、ベルトだけ作りました。

―― なるほど。ポイントになるベルトを作ればオッケーみたいな。

庵野 ええ。ベルトはちゃんと風車がモーターで回るギミックも作りましたね。お金をかけたのはそこまで。

―― それを高校の文化祭でやったんですか?

庵野 文化祭で上映したんです。高3だったかな。

―― ウケましたか?

庵野 それはウケましたね。当時なので、ちょっとパロディをやったらみんな知ってますから。

美術部の予算でセルアニメを作る

―― 当時、文化祭で映画を作って上映することは多かったんですか?

庵野 文化祭で8ミリの上映をしたのはたぶん僕が最初だったかな。進学校だったので、あまりそういうのはやる人はいなかったです。

―― アニメを見ることから描く方に興味を持つようになったのはどの辺からですか?

庵野 やっぱり高校の頃ですかね。絵はそこそこ描けたので、描いて動かしてみたい欲が出てきました。中学まではペンで漫画を描くのもまだ夢の夢みたいな感じでした。鉛筆でノートにコマ割りの漫画を描くのが精いっぱいで。高校になると、お小遣いの額が増えたんですね。墨汁とかペンとか原稿用紙も買えるようになったので、ようやく経済的なリアリティが見えた。あと、お年玉やら何やらの貯金がそこそこの額になっていたので、思い切って全部使って8ミリ機材を買って。でも、その後、現像とかフィルム代とかでもお金がかかるので、それは美術部の部長だったのをいいことに、全部部費で賄いました。

―― 美術部で絵を描く方もやっていたんですね。

庵野 そうですね。でも、美術部の活動って、ほとんどセルアニメを作るとかそっちのほうでしたね。

―― いきなりセルだったんですね。

庵野 それしか知らなかったんです。

―― 当時そういう道具とかはあったんですか?

庵野 田舎でも売ってたんです。画材屋さんにセル絵の具セットとか、セルの制作セットみたいな。ほぼそこのやつを買い占めたりしましたね。