高校卒業後は治療に専念したが、痛みは変わらず…

――高校卒業後はどうされたんですか?

柊子 痛みに振り回され続けるのは嫌だと思って、治療に専念することにしました。それまでは塗り薬と痛み止めで対処していたのですが、本格的な治療を始めることにしたんです。

 まず、血管の塊をなくすために、カテーテルを入れて血管を1本ずつ焼く手術を行いました。ただ、検査や準備を含めて何日も入院しないといけないし、手術にはリスクもある。

ADVERTISEMENT

 しかも、一度ではなく何度も同じ手術を繰り返さないといけないんです。それでも、症状が改善するかどうかは分からない……というものでした。

 私は数回この治療をしたんですけど、痛みは変わらないし、良くなっている気もしなかった。その後、左足指の変色している部分だけを切断する手術をしたんです。それでも、痛みはほとんど変わりませんでした。

 

――なぜ、患部を取り除いても痛いままだったのでしょうか。

柊子 私の場合は、足首と膝にも血管の塊があったから、今変色している指の部分だけを取り除いても、一時的な対応にしかならなかったのかもしれません。

 そして、次に提案されたのが、「足首から切るか、膝上から切るか」。足首から切る方が、もちろん身体への負担は少ない。でも、膝にも血管の塊がある以上、いつかはそこも痛み始めて、壊死してしまうかもしれなかった。

 だったら、一気に膝上まで切断して、不安の種は完全に取り除いた方がいいんだろうな、と思いました。

「もし義足になるなら、私もこういうふうになりたい」左足の切断手術を決意したワケ

――足の切断という選択肢を聞いたとき、どう思いましたか?

柊子 最初聞いたときは、「私の足はそんなに悪いのか」とびっくりしました。でも、「この痛みから、解放される方法があるのか」と、やっと希望が見えたような気がしたんです。

――切断することに、迷いや葛藤はなかったのでしょうか。

柊子 切断した後にどんな生活が待っているのかわからなかったから、私なりにいろいろ調べました。そこで、義足のモデルのGIMICOさんの存在を知って。「もし義足になるなら、私もこういうふうになりたい」と思ったんです。

 GIMICOさんは、右足の膝上から義足をつけているのですが、義足姿そのものもかっこいいし、歩いている姿もかっこいい。もともと切断にネガティブな感情はありませんでしたが、GIMICOさんの姿を見て、より気持ちが固まりました。

 

――家族や友達には相談しましたか?

柊子 実は、誰にも相談してないです(笑)。自分で決めて、自分で調べて、自分で納得して。親には、それから伝えました。母からは、「柊子がそう決めたなら、頑張って」と言われましたね。 医師から切断の選択肢を与えられてから3ヶ月後には、切断手術をしました。

撮影=橋本篤/文藝春秋
取材協力=ココダイバーシティ・エンターテイメント(https://coco-de7.com/

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。