――カミツキガメや逆さ眼鏡、吹奏楽器(の練習)、海鮮丼、郵便碁など、やや変わった道具立てが各短編に仕込まれていて、ミステリとして新鮮な感覚がありました。今回はこういった小道具から発想を組み立てていったということもあるのでしょうか。

長岡:あります。「曲がった残効」がその典型例で、逆さ眼鏡という小道具に目をつけたところから発想が始まっています。

「噛みついた沼」のカミツキガメもそうですね。生き物はミステリの小道具として、とても魅力的です。タコは人間の顔を区別することができる、などという話を聞くと、そのネタでどうにか一編書けないか、とつい考えてしまいます。

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 近ごろは、ウェアラブル・フェイス・プロジェクターなるものがあるそうです。他人の顔の映像を自分の顔に投影する装置です。これを使って別人になりすます、というエピソードもこのシリーズの一編として構想したことがありましたが、結局うまくいきませんでした。ハイテクすぎるガジェットは、種を明かされても興覚めすることが多いため、扱いが難しいですね。

 

――長岡さんの作品を拝読するなかで、「伏線」を非常に重視されていると感じます。本作でも、はっとするような伏線が組み合わされていますが、本筋の事件を考えたあとで、伏線を追加していくのでしょうか。それとも伏線となるようなモチーフから考えていくのでしょうか。

長岡:ほぼ100%、本筋の事件を考えたあとで伏線を追加するという順序です。ただし、本当に上手い伏線とその回収法を考えつくことができたら、それをスタート地点にして作品を組み立てることはできると思います。

 これは脚本術の本にも紹介されている有名な例ですが、ドラマ『北の国から』で次のような場面がありました。母親が東京から北海道へ来る。子供たちは留守にしている。母親は子供たちのパジャマを抱きしめる。その後、子供たちが帰ってくるが、もう母親はいなくなっている。子供の一人がパジャマに着替えて布団に入る。そのとき「あ、母さんが来た」と言う。パジャマから母親の匂いがしたからです。

 伏線とその回収法がこれぐらい巧みなら、もうそれだけで一編を作ることができると思いますが、私にはなかなか真似ができません。