──監督ご自身は、ケイトに聞く前からリー・ミラーについてご存じでしたか?

クラス ええ、よく知っていました。私は大学で写真の勉強をしていましたし、デザインを学んでいたこともありますから。

 リーは世界的なトップモデルであり、ポール・エリュアールや、マン・レイ、ピカソといったシュルレアリストたちのグループの一員でした。私はもともと、シュルレアリスムの写真家としての彼女の作品に興味があったんです。

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 でも、彼女が数多くの戦争写真を撮っていたことについては、ずっと後になってから知りました。

 リーがパリやロンドンに住んでいたことがあるという事実も知っていました。彼女が私と同じニューヨーカーだということもね。だから、ケイトの話を聞いて、トップモデルとして世界的に有名な写真家たちのカメラの前に立っていた彼女が、どのようにしてカメラの後ろに回る写真家になったのか、とても興味をもったんです。

 リーはモデルとして何年も客観視されてきたし、実生活でも幼い頃から父親に写真を撮られていた。つまり彼女は、幼い頃からずっと対象化されてきた。だから、「女優」として対象化されてきたケイトと一緒に映画の視点を考えることができたのは、本作にとって非常に重要だったと思います。

マン・レイのミューズとして写真活動をしていた頃のリー・ミラー(中央)と、シュルレアリストの仲間たち

──映画化にあたり、どのような苦労がありましたか?

クラス 最初のチャレンジは、リーの人生のどこを切り取るかを決めることでした。私たちは、彼女の生涯をただ追いかけるような映画は作りたくないと思っていました。彼女の人生はあまりにも波瀾万丈すぎるし、私たちはこの映画をもっとテーマ性のある構成に絞りたかった。

 だから、いわゆる伝記映画のような構成にはしないでおこうと決めたんです。その代わり、映画全体を貫く芯のようなものを入れた構成にこだわりました。

 そこで難しかったのが、「じゃあ、彼女の人生のどの部分を選ぶのか?」ということでした。

 ケイトと私の意見は共通していました。

 まず、マン・レイのミューズ時代のリーにはフォーカスしたくない、ということ。それから、リーが中年になって従軍記者として戦争に行く時代はしっかり描きたい、ということ。

 だから、物語を第二次世界大戦直前の1930年代後半からスタートさせたのです。