沙織さんの魂は殺された
沙織さんは、両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏した。肩を震わし、喘ぎながら、苦しそうに呻く。
「天井だけ、天井だけ、見てたんです。唇が気持ち悪くて、もう、硬直して……」
震える沙織さんの肩をさすらずにはいられない。
父親はすでに亡く、あれから40年近くの時が経っているというのに、沙織さんの心はすぐに血を噴き出す。まだ、何も終わっていないし、傷口に何とかできた瘡蓋はいとも容易にすぐ、剥がれ落ちてしまう。
「自らの欲望を優先させた結果、娘を用いて自らの性欲を満たしました」
富山県で実父から高校生の時に性的暴行を受けた女性が、23歳で父親を告訴し、逮捕にまで至ったケースの父親の「反省文」だ。その後、この父親は、行為を認めたうえで、「娘は抵抗できない状態ではなかった」と述べ、無罪を主張した。自らの歪んだ欲望の結果、娘にどれほど深刻な傷を一生背負わせてしまったのかを自覚することは、この鬼畜たちには不可能なことなのか。
性的虐待は「魂の殺人」と言われるが、まさに沙織さんはケダモノによって殺されたのも、同然だった。
「謝れ!」と、沙織さんは空に叫ぶ。父親は数年前に自殺して、他界した。それは生活がどん詰まりになったためであって、娘への取り返しのつかない犯罪行為を悔いてのことでは決してなかった。
『誕生日を知らない女の子』が出版された時、沙織さんはこんな一文を寄せてくれた。
〈トラウマとは、『心・魂の傷』です。
養育者から受ける魂の傷、これを背負っての生活は『恐怖』。死んだように生きる、生き地獄です。
トラウマとして刻み込まれた記憶は日常の些細なことで脳裏によみがえり、その度に脳を侵し壊れていく。気が狂いそうな自分を抑え込む。トラウマに人生を支配されてしまう。
安心して暮らしたい。
トラウマやフラッシュバックは生きるための安心感を壊し、生活の中にある連続性をストップさせ、思考、精神状態に多大な影響を与え、魂の動きを止めてしまうのです〉