一周忌に寄せて
あの墜落から一年にあたる1986年8月12日、事故現場へ向けて御巣鷹山を登った。事故当時は道といえるような道はなかった。それを物語るように事故から2日後に遺族が現場へと向かう途中で落石で死亡するという事故もあった。
だがこのルートも、事故から一年たつと、慰霊登山がしやすいように日航職員や地元消防団の手で整備されていた。その道を遺族は喪服や普段着でゆっくりと登っている。途中、何カ所かにペットボトルが置かれた休憩地点が設けられていた。日航の職員は黙って頭を下げ、冷えたボトルを慰霊登山者たちに手渡していた。薄暗い谷に鳥の声がわたっていった。
途中、事故当時の社長だった高木氏がゆっくりとした足取りで登っているのに出会った。「大丈夫ですか?」と声をかけると「はー、ありがとうございます」と頭を下げた。
だが、息は荒かった。高木氏にとってそれは針の山を登るにも等しい。8合目あたりで一人の中年男性がぽつねんと座っていた。高木氏が頭を下げるが、高木氏と気づいたのか無視した。男性に話を聞いた。
彼は家族が亡くなったという。そして「あの日以来、仕事にも手がつかず、家に帰ってもぼんやりしてるばかりです。一人、ここで家族を思い出しながら祈るだけです。慰霊式には参加しません」と心境を短く語った。
尾根には、高木氏らを待ち構えるテレビカメラが多数いた。高木氏に「お気持ちは」などとマイクをむける記者もいた。尾根には花を持った人、菓子や果物を手にした人、ビールや日本酒をいまは亡き相手と飲む男性、悲鳴に近く号泣する中年女性、南無阿弥陀仏と念仏を唱える人、ひたすら数珠を手に祈る老夫婦など、そして線香の煙がいたるところから漂っていた。
ある女性に話を聞いた。
「どなたを亡くされたんですか?」