小学4年で将棋に打ち込み始め、一日中将棋を指していた
――ここで改めて、佐藤さんと将棋の出会いについて教えてください。
佐藤 最初に指したということなら、幼稚園くらいからだったと思います。まあ本将棋よりは、まわり将棋やはさみ将棋のほうがメインでしたが(笑)。本将棋に打ち込み始めたきっかけは思い出せませんが、小学4年生の夏に親に頼んで棋書を買ってきてもらいました。たしか中原先生(誠十六世名人)の入門書でしたね。
――他の人とよく指すようになったのはいつごろですか?
佐藤 家族も含めて、近くに将棋を指す人間はいませんでした。それでも棋書だけでは物足りないので、親が電話帳をめくって将棋道場を探してくれました。当時住んでいた松戸市の隣の柏将棋センターでしたね。
――柏将棋センターというと、石田和雄九段がオーナーを務めていることで知られています。
佐藤 その当時はまだ石田先生ではなく、師匠(加瀬純一七段)のお父さんが席主でした。この頃は将棋を指すのが面白く、冬休みや春休みなどは毎日センターに行って、一日中将棋を指していましたね。
――のちのプロ棋士にいうのは失礼ですが、佐藤さんは将棋の他にピアノ演奏やスポーツにも堪能なのが知られているので、将棋漬けの子どもだったというのは意外です。
佐藤 当時の習い事は将棋とピアノでしたね。ピアノは小学2年の時に、姉と母が弾いていたのを見て自分もやりたいと始めました。上達には地道な努力が求められるので最初はつらかったのですが、続けていくうちに楽しさがわかってきました。最初のピアノ教室には26~27歳まで、累計だと15年ほど通っていました。ただ、ピアノを専門的にやることはまったく考えなかったです。
「奨励会にはまだ早い」と席主が判断してまずは研修会へ
――スポーツのほうについてはいかがですか。佐藤さんは将棋連盟サッカー部の部長を務められていたとも聞きました。
佐藤 球技はサッカーやバレーボールを多少やりましたが、基本は陸上ですね。足は速かったので運動会などで1位になることは多かったです。中学2年から陸上部に所属して、松戸市の大会で一度、4×200メートルリレーで優勝して、個人種目でも入賞がありました。同学年の部員の層が厚く、やりがいがある環境でした。
――佐藤さんは、研修会を経て奨励会入りしています。まず研修会に入られたのにはどのような理由があったのでしょうか。
佐藤 研修会入りが小学5年の夏ですね。その時点で柏では四段でした。最初に読んだ入門書にはプロの世界についても書いてあって、アマ四段になったら目指せるかなと思っていました。ですが「奨励会にはまだ早い」と席主の方が判断をして、まずは研修会に入りました。
研修会はFクラスからありますが、C2クラスでの入会です。自分は大会に出ていなかったので「知らない子がいきなりC2で驚いた」と、のちに当時の仲間から聞きました。アマチュア時代の自分は小学生名人戦に2回出たくらいで、それほど将棋大会に参加した子どもではなかったです。基本、柏でしか指していなかったので、同世代と比べて自分がどのくらいの実力なのか、研修会に入るまではよくわかっていませんでした。