――改めて、佐藤さんが闘った三段リーグという戦場はどのような環境だったのでしょうか。
佐藤 いるとあっという間に月日が経っていきます。それこそ気づいたらという感じで。ただ、これはいつの時代にも共通することだと思いますが、同じ三段リーグを戦うものでも力の差は歴然としてあります。そのため、全員がレースに参加できているとは言えないところも感じます。自分のことを言うと、これは後付けの面もありますが、リーグに入ってから昇段レースに参加するまでは4年ほどかかっていましたね。
年齢制限が迫るなか25歳でプロ棋士へ昇格
――佐藤さんが初めて三段リーグで勝ち越したのは99年度後期の第26回リーグで、12勝6敗で次点を獲得しました。
佐藤 次点の時は21歳で、手ごたえはありました。ですが、その後3期連続で負け越したのがきつかったです。
――必然的に年齢制限が迫ってきます。
佐藤 年齢制限のプレッシャーはもちろんありましたが、上がれないとあきらめるほど追い詰められていたわけではありません。上がれない可能性を考えたことはあったと思いますが、自分が四段になれないと思ったことはありません。
――四段昇段を決めたのは2003年前期の第33回リーグです。
佐藤 リーグが始まる前に禁酒して、と言ってもそれまでもサッカー部のあとにメンバーで飲んでいたくらいですが、やってみたら結果的にすぐ上がりました。禁酒については何かを自分に課そうと思ったのがそれだったということです。ただ四段になってから2~3年はまだ三段リーグを戦っている、上がれなかったという夢をたまに見ました。勝てば昇段の最終日に遅刻するといったシチュエーションもありましたね。
――プロ入り後の佐藤さんの実績を上げますと、順位戦の昇級の他には08年度、09年度に2年連続で朝日杯将棋オープン戦ベスト4進出、16年度のNHK杯準優勝、竜王戦1組昇級及び20年度に1組準優勝があります。
佐藤 25歳で四段というのは、現実的にプロとしての期待値が低いと思います。最初の5年は自分が思っていた以上に勝てていた感があって、朝日杯のベスト4はアベレージの割にはよくもたどり着いた実績と思います。頂点まであとわずかというのは自信にもなりますし、いい経験ができました。自分にとって大きいというなら、C級2組から上がった順位戦(18年度)ですね。C級2組には15年いましたが、やっぱり年を経ると昇級することがしっかりとした目標じゃなくなるんですよ。その中で1つ結果を出せたのは大きかったです。
写真=釜谷洋史/文藝春秋
