奨励会は今までとは違う世界だった
――その後、1990年に奨励会入りされました。
佐藤 小学6年の夏でしたね。当時は研修会のB2で、受かるだろうと自信をもって受験しました。関東の奨励会入会の同期で棋士になったのは佐藤紳哉七段、西尾明七段、大平武洋六段です。合格者が15人くらいで、そもそも受験者数自体が少なめの頃でした。
――当時はインターネットがない時代ですが、プロ棋界の情報はどのように得ていたのでしょうか。将棋雑誌などを読まれていたのでしょうか。
佐藤 将棋雑誌はほとんど読んだことがなかったです。ただ実家では読売新聞を取っていたので、竜王戦の情報が比較的多く、第1期竜王の島さん(朗九段)が上位棋士をどんどん倒してかっこいい棋士という印象は強くありました。
――佐藤さんは奨励会に13年在籍されましたが、当時を振り返っていかがですか。
佐藤 修行としか言いようがないのですが、何とも言えませんね。楽しい思い出もありますし、いろいろな意味で今では話せないようなこともたくさんあります(笑)。それが良い時代だったというと違うのでしょうが、あの頃は総じておおらかだったと言えそうですね。
成績のことをいうと、5級でしばらくとまって(11ヵ月)、きつかったです。その時点では同期からもっとも遅れそうになって、違う世界に来たなという意識を持ちました。アマ時代にはあまり負けなかったのに、奨励会に入ると負かされることが増えます。周りを見る余裕もありませんでした。ただ三段までは同期で一番早かったですし、後輩に抜かれることもなかったです。結局は自分が勝つかどうかですから、そこまで周りは気にしてなかったですね。
同じ三段リーグで感じた「歴然とした力の差」
――三段リーグ初参加が95年後期の第18回で、当時の佐藤さんは高校2年でした。進学校として知られる渋谷教育学園幕張高校に在籍されていました。
佐藤 高校には将棋の一芸入試で入りました。当時のシブマクは色々な分野から生徒を募集していたようで、少し下にはサッカーの田中マルクス闘莉王さんがいます。自分がいた頃はサッカーとテニスが強かったですね。高校2年、3年ともなると周りは受験一色ですが、自分はまったく大学に行く気がありませんでした。
――今の奨励会三段は大学進学者も増えていると聞きましたが、当時は違ったのですね。
佐藤 かつては奨励会と学業の両立は難しいとの考えが根本としてあって、特に大学は将棋がダメな時の保険的な意味合いが強かったと思いますが、どちらにしても大変な選択です。私の時代は将棋に振りきることが自信を証明するというか、いいことのように見られていました。今とは考え方がまったく違いますね。