将棋以外でも頭の回転が早い藤井

 午後9時30分からの立食での打ち上げには、泉佐野市の千代松大耕市長もお見えになって挨拶。本当に泉佐野市を挙げて盛り上げていただいて感謝に堪えない。

 藤井が食事を終えたタイミングで話を聞く。私は泉佐野駅近くに宿を取ったのだが、関西空港駅から2駅なのに運賃が520円だった。そうだ、この話題がいいかなと、「なぜこの金額なのかわかりますか」とスマホの検索画面を見せると、「9キロないのにですか。それは知りませんでした」と答え、続けて「橋の建設費が運賃加算されているんでしょうか」。えっ、「運賃加算」って? さらに「対局中に外は見ますか」と聞いてみると、「見る方です。電車は見られませんでしたが、飛行機は見られました」との返答だった。

 そして、他の記者も加わり、もっとも高い場所での対局場はどこだったかという話に。私が藤井名人誕生の1局となった、長野県上高井郡高山村の「藤井荘」はどうでしょうかと言うと、藤井は「あそこはたしか標高900メートルだから……」。えっ、数字も覚えているの?

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将棋以外の記憶力にも驚かされた藤井聡太名人

 頭の回転が早すぎると感心しつつ、頃合いと見て千日手の話を聞くと、「こちらから打開はできないと思っていました」と。千日手になると思っていましたかと聞くと、「いえ、打開されると思っていました」ときっぱりと言った。なんと、そこまで相手のことを読んでいたのか。

「千日手」と「と金寄り」で思い出される66歳の名人

 永瀬も打ち上げの場では快活に笑っていて、「今月はついに研究会よりも対局のほうが多いんですよ」と語っていた。この3日後には、竜王戦2組ランキング戦で羽生善治九段に勝ち、決勝トーナメント進出を決めている。

 さて、打ち上げが終わり、電車で宿に戻ったが、藤井との会話を思い出して、なんだか寝付けない。そうだ調べてみようと、検索すると、たしかに関西空港線には「運賃加算」があった。また藤井荘の標高も900メートルだった。将棋以外も高速詠唱かつ正確無比だなあ。ふと、「千日手」と「と金寄り」のキーワードに、昔のことを思い出した。

 1989年11月、私は大山康晴十五世名人-塚田泰明八段の順位戦A級の記録係を務めた。中盤、じりっと寄った△4九とが印象に残っている。当時大山は66歳だったが、この手を指す時の気迫がすごかった。結果は千日手となり、指し直し局は午前1時28分に塚田が勝ったが、大山は感想戦を2局ともしっかりとやった。

 大山は翌年には棋王戦の挑戦者になった。順位戦A級は最終局で残留争いの直接対決になり、豊島の師匠・桐山清澄九段に勝って、1948年から続けているA級以上の座を死守した。66歳でのタイトル挑戦、後に達成した69歳A級はとんでもない大記録だ。

第3局の舞台となった「ホテル日航関西空港」

 大山はと金を使うのがとてもうまかった。そして相手の心理状態を読むのはもっとうまかった。と金寄りといい、千日手にはならないと読み切ったことといい、本局の藤井は大山そのものではないか。

 彼は本当に22歳なのだろうか。

写真=勝又清和

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