――なぜ家で練習しようと思われたんですか?

リカルド 自分でやらないと、できない(ものにならない)から。

――それは誰かに言われたのではなく、ご自分でもっと日本料理がうまくなりたいと。

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リカルド はい。

――リカルドさん、東京と京都はどちらがお好きですか?

リカルド 京都です。

 コロナのときは(観光客が少なくて)本当の京都でした。銀閣寺に行っても、誰もいない。自然も庭もとてもうつくしいです。

 
 

新天地に宮津を選んだ理由

――開業されたのは、京都市内から100キロ以上離れた、天橋立の近くの宮津市。なぜこの場所に?

リカルド 土地と人と食材に一目惚れして。

ミオ 開業は京都市内でと考えていたんです。食文化が好きだから。でもなかなかうまくいかなくて。それで、食材に触れたら元気になるんじゃないかって先輩が教えてくれて、丹後旅行に行ってこいって。

 2022年の2月に初めて丹後半島を訪れて、この物件を見た瞬間、「あっ、ここだ」って。ふたりとも即、「ここだー」ってなりました。

――築120年の蔵を改装した趣きのある空間で、カウンターが6席。地元の老舗で、「富士酢」の醸造元として知られる「飯尾醸造」が所有されている建物と伺いました。

©志水隆/文藝春秋

リカルド シャリに使うお酢も無農薬のお米も、飯尾(醸造)さんがつくったものです。

ミオ 初めて訪れたときは2泊3日で、初日の夜は「縄屋」という薪火スタイルの日本料理店で食事をして、お店の素晴らしさに感銘を受けて。そのときたまたま同席されていたのが「竹野酒造」という地元の酒蔵の蔵元さんで、いろいろ話すうちに、「よかったら明日蔵見学に来てください」って言ってくださって。

 2日目の夜は、ここ(「西入る」)のすぐ隣にある飯尾醸造さん直営のイタリアン「aceto」で食事をして、そのときにこの場所を見せていただきました。最終日には、本社にある蔵で5代目の飯尾彰浩さんにお会いして、お米づくりから始めるお酢の醸造の説明を受けました。それで、赤酢と自家製のコシヒカリをいただいて、「これでお鮨をつくってみてください」って。飯尾さんからの唯一の条件は、「富士酢」を使うこと、ほかの調味料も“まっとうにつくられたもの”を使うことでした。

 出会った方がみなさん素晴らしいお人柄で、お酢もお酒も素晴らしくて、とても濃い旅行でした。

――土地に呼ばれた感じですね。

ミオ そうなんですよ! ふたりとも鬱々としていたのが、ぱーっと晴れて。

――2月は気が滅入る寒さなのに。

ミオ その日も寒くて、2週間後に家を見にきたときは、雪が70センチも積もってましたが、案内していただいたのが畑付きの家ですぐそこに決めて。その日まで待って本当によかったなあって。

 4月に引っ越して、6月に開業しました。

――移住されてよかったですか。

リカルド No regrets.

ミオ 後悔は一切ないですね。集客の面では、わざわざ来ていただく距離ということから、6席のカウンターがずっと埋まるということはなくて、予約が入らなくて休むことも。もちろん店を続けるということへのプレッシャーはあるんですけど、奇跡的に、私たちがやりたいと思っていた料理がここでできているので。

©志水隆/文藝春秋

#2へ続く

次の記事に続く 「先輩と後輩。私の国と、日本は違う。若い人もリスペクトしないと」 “コミュニケーション補助役”の妻とともに歩む和食料理人リカルド・コモリさん(44)が真摯に見つめた、ポルトガルと日本のギャップ

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。