「ポルトガルと日本の違いは?」という質問に、「言わなくてもいい」という答えを貫くリカルド・コモリさん(44)は、京都・宮津の築120年の蔵を改装したカウンター鮨割烹店店主。山で汲んだ湧き水でだしをひき、漁港で目利きした鯵やイカで鮨を握るリカルドさんが、“ポルトガルと日本の違い”を言いたくない理由とは。(全2回の2回目/前編を読む)
※このインタビューには、共に店に立つリカルドさんの妻・小森美穂さんが通訳も兼ねて参加しています。
日本料理の道を選んだ理由
――日本に移住されて10年になるリカルドさんですが、ポルトガルで生まれ育って、なぜ日本料理の道を選ばれたのでしょう?
リカルド・コモリさん(以下、リカルド) 一番好きで、味が。
文化と、テクニックも好きです。包丁の使い方と、カウンターの仕事が好きだった。昔は、ポルトガルに(本格的な)日本料理はまだなかったから、(いまから思えば)Sushi Barの仕事もぜんぜんわかっていなかった。
――Sushi Barって言うんですね。こういうふうにカウンターがあって?
リカルド カウンターはありますけど、(日本みたいに)誰も座らない。みんなテーブル席に座ります。いまは時代が変わって、ヨーロッパにもカウンターの文化はありますけど、そのときはお客さんが食べているようすが見えるカウンターで料理をするのが、すごく面白いと思いました。
――それは何年くらいのお話ですか?
リカルド 2002年くらい。私が調理師学校の3年のときに、研修でSushi Barに送られて、初めて寿司を食べました。
――ネタは何を召し上がりましたか?
リカルド サーモンの手巻き。三角形のやつです。
――どうでしたか、初めてのお寿司は。
リカルド まあ、おいしかったですよ。日本の“鮨”じゃないけど。
妻の小森美穂さん(以下、ミオ) そのときはまだ知らないでしょ(笑)。
リカルドは調理師学校を卒業して、研修先でもあった「ビカ・ド・サパト」という、当時リスボンで一番おしゃれといわれていたモダンポルトガル料理レストランの、Sushi Barに就職しました。そのあとも、3~4カ所の日本食レストランで働いて、それぞれ違うことを勉強した感じではあります。
ただどの店も日本人シェフはいなくて、そもそもだしもとらないし、生魚をそのまま寿司として提供するスタイルがメインで、“日本料理”と呼べるようなものではなくて。

