ふたりの出会いと最初の印象
――おふたりが出会われたときのお話を伺ってもいいですか? ミオさんはなぜポルトガルに?
ミオ 30歳を目前に、英語以外の言語を学びたくて、ポルトガル語コースのある大学に留学したんです。
10代後半から20代前半までイギリスに留学をしたあと、実家のある東京に戻ってグラフィックデザインと翻訳の仕事をしていたのですが、どちらの能力も自分には足りていないという気持ちがありまして。
だけど前期を終えたタイミングで、ポルトガル語が非常に難しくてですね。2003年頃なんですが、ちょうどヨーロッパに寿司ブームがきていて、「お寿司をつくって」ってまわりに言われるんですね。
――日本から来たなら寿司は握れるだろうと。
ミオ パーティーとかで、けっこうあるあるなんですけど(笑)。
これはお寿司が握れたら仕事になるんじゃないかと思いまして、インターネットでリサーチしたら、「東京すしアカデミー」という学校があたらしくできていて。当時は巣鴨の小さいお寿司屋さんを校舎として使っていて、そこの「江戸前寿司職人養成一カ月コース」(当時)っていうのに申し込みました。ポルトガル語のコースは、前期で辞めて日本に戻って。
――これまでリカルドさんがガッツ溢れる方かと思ってましたが、ミオさんもガッツ溢れる生き方をされていらっしゃる。
ミオ リカルドは間違いないです(きっぱり)。
寿司学校ではお魚をおろしたり、お寿司を握ったり、巻物を巻いたり、1カ月間でみっちりやるんですね。それでなんとかなるかなと思って、ひとりでケータリング業を始められる準備をして、すぐにポルトガルに戻ったんですけど、そこからがまた大変で…。
――いまのお話はリカルドさん知ってます?
リカルド はい、知ってます。
――リカルドさんは何をされていた頃ですか。
リカルド 「ビカ・ド・サパト」で働いていました。
ミオ いざポルトガルに戻ったものの、どうやって集客していいかわからないし、業者さんも知らないし、まずはお店で働いて現場を経験しないとだめだと、わりと早い段階で気づきまして。
そのときに、オープニングスタッフを探しているという日本食レストランから声をかけていただいて働き始めることになるんですが、突然日本人の料理長が帰国されてしまったんですね。その店のオーナーが、ポルトガル人の寿司職人の重鎮に声をかけて、「とにかく人手が足りないので誰か寿司職人を派遣してくれないか」っていうので、やって来たうちのひとりが、リカルドです。
――最初の印象について、お互い覚えていますか?
リカルド 日本人の料理人を初めて見た、と思いました。
ミオ あーそう。私は、すごく真面目そうな人だなと。ぜんぜんしゃべらないし、寡黙な人だなって。日替わりでいろんな職人さんが来られて、たくさんしゃべりかけてくる方もいれば、陽気な方もいるなかで、リカルドは黙っていきなり包丁で仕事を始める、みたいな。

