「同じお客さまが3度目に来てくださった時に、真価が問われる。そういうお店になりたいですね」
――お料理は懐石コース仕立てで、自家製の白味噌のお椀、「いもぼう」に着想を得られたというバカリャウ(塩鱈)コロッケ、玉(ぎょく)のかわりにさいごに出されるパオン・デ・ロー(カステラの原型といわれるポルトガルのお菓子)も遊び心があってたまりません。
ミオ 修業時代に「日本人の料理人は怪物レベルのすごい人ばっかりだから、同じ土俵では戦えないよ」って、けっこういろんな人に言われていたんですね。開業前にいろいろ悩んでいたときに、「リカルドとミオがやるだけで違うものになるから、自分たちがしたいことをやったら大丈夫」と言ってくださったメンターがいて。
リカルド みんなメンターです。
――「西入る」をオープンされてまもなく4年目です。これからどうしていきたいですか?
リカルド 宮津の食材を全部使いたい。
ミオ 山で湧き水を汲んで、だしをひいて、漁港に仕入れに出かけて、献立を考えて、仕込みをする。毎日がまあまあチャレンジで、真剣勝負で、それを続けていきたいという気持ちがすごくありますね。同じお客さまが3度目に来てくださった時に、真価が問われる。そういうお店になりたいですね。
――ポルトガルに出店したいというお気持ちは?
リカルド むずかしいなあ。2回ほどイベントをやりましたが、食材が。日本は食材に対してプロ意識が高いので。(宮津にいる)私たちは、恵まれているので。
(プロフィール)
りかるど・こもり/1980年ポルトガル・リスボン生まれ。13歳より、母親が仕事で不在時に家族の料理をつくり始める。19歳で3年間在籍した美術学校を中退し、調理師学校へ入学。研修先のレストラン「BICA DO SAPATO(ビカ・ド・サパト)」(現在は閉店)で初めて日本食(Sushi)を味わい、日本料理の道へ。2003年に卒業後、同店含むリスボン各地の日本食レストランに勤務するなかで、妻のミオさんとの結婚を機にたびたび日本を訪れ、「本物を知りたい」気持ちを抑えられず、2015年に来日。関東各地の料理旅館、銀座の割烹「六雁(むつかり)」「鮨かねさか」「てのしま」などを経て、2020年10月、40歳で京都に移住し、懐石料理店「杦(せん)」へ。2022年6月、「丹後半島の空気と食材に触れて目の前が晴れ渡り」、さらなる移住とともに築120年の蔵を改装したカウンター6席の鮨割烹店「西入る」を開業した。2024年3月、フランス発祥のレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ2024」掲載、今年3月「ゴ・エ・ミヨ2025」掲載。農林水産省が認定する「海外における日本料理の調理技能認定制度」最高レベル、ゴールド認定取得者。
●西入る 京都府宮津市新浜1968
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