初めて日本の寿司を食べて衝撃「私がつくる仕事は、日本料理じゃなかった」

――ポルトガル時代から同じ日本食レストランで働かれていたミオさんから見ても、リカルドさんのそういった変化は感じますか?

ミオ はいもう、すごく。

 結婚したのは2007年、リカルドが27歳、私が33歳のときですが、付き合い始めてまもない2005年に、リカルドは初めてポルトガルを出たんですね。ビザの更新のために一時帰国していた私に会いに。アムステルダム以外で初めての外国が、日本の東京。もうびっくりですよ、日本料理に。なんだこれはって。

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――2005年の東京。びっくりしたのは、具体的に何に対してですか?

リカルド 私がつくる仕事は、日本料理じゃなかった。

――それは外に食べに出かけられて?

リカルド そうです。もうぜんぜん違う。

ミオ 当時築地市場の場内に小さいけれど素晴らしいクオリティのお寿司を出してくれるお店があって、すごく並ぶんですけど、ネタも極上、シャリもあったかくて、目の前で職人さんが握って出してくれて、もう寿司の概念が一変して、なんじゃこれはーって。

©志水隆/文藝春秋

――と、ふたりで会話しながら食べてたんですか?

ミオ 会話はあんまりしない。黙って食べてましたね。“おいしい”のレベルが、自分が知ってるレベルとまったく違うところにある。寿司にかぎらず、ラーメンも、定食も、何を食べても、自分の知ってる味とはぜんぜんレベルが違うって。

――どのネタが印象的でしたか?

リカルド 一番びっくりしたのは、イワシ。醤油じゃなくて、塩を使った寿司は初めてでしたね。あんまりポルトガルでは(寿司に塩は)使わないから、とくに昔は。

ミオ 自分で醤油につけて、というか浸して、醤油だらけにして食べる人が多かったですね。

リカルド そうそう、醤油をそばつゆみたいに。私が(ポルトガルの日本食レストランで)初めてシェフ(料理長)になったとき、醤油のうつわを小さいのに変えてくださいってお願いしました。

ミオ お客さまにお出しする醤油の量をすごく少なくして。

リカルド それまでは、1リットルの醤油が1週間くらいでなくなってた(笑)。

――東京にミオさんを追いかけて行ったのが、料理人としての岐路というか、本場の日本料理との出会いというか。

ミオ 本場の味を知ったことが、やっぱり体験としては衝撃だったと思います。そこから1年に1回必ず、結婚後もそうですけれど、日本に帰るたびにいろんなお店に出かけて、するといままで自分が食べた料理のなかでも、甲乙がついてくる。以前は感動した料理が、いま食べたらなんかちょっと違うのは、なんでだろう、みたいな。